5月23日の続き…
この日、最後の目的。
27年前、鉄道趣味が本格化したちょうど今頃に初めて目の当たりにした世代交代。
四半世紀を超えて、着実に輪廻転生、生の摂理と言えるものは続いている。
高校に進学した頃はまだまだ増備中の新車だったというのに、もう残り1編成になった形式が…
東京都交通局5300形。
浅草線用として1991(平成3)年にデビューし、1995年までに5000形を置き換え。
最終的には1997年までに8両編成27本216両が製造された。
浅草線にとどまらず乗り入れ先の京急・京成・北総・芝山線と広範に運用されてきたが、後継の
5500形の導入により置き換えが進行し、現在は5320Fの1編成8両が残るのみとなった。
既に5500形は2021年度までに27編成の導入が全て完了しており…
未だ処遇は不透明である情勢、ここのところのご時世からサイレント引退も予想され…
しかも直近の稼働実績では土休日の運行が少なかったことから、この5月23日に動いた。
だがこの5月23日は、北総鉄道印旛車両基地に日中停泊する運用に就いていたため…
北総7000形に再会した流れで、印西牧の原17:14発の京急久里浜行きを迎撃したのだった。
車内は、登場当時に比べると吊り革の交換や高さ変更など、細かく手が入れられている。
乗降扉のLED式情報案内装置も変更はない。
登場当時は平成初期の最先端設備であったが、すっかりお馴染みのものになった。
地上区間で眺望抜群の運転台仕切り窓は、左右逆だが大江戸線12-000形に次いで採用。
この意匠は三田線用の6300形にも引き継がれている。
この5月23日の夕方は、さすがに5300形目当ての人は自分だけだった様子w
定刻通り、西日に向かっていくように静かかつ力強く発車した。
北総線内での最高速度は105km/h。
まめに加減速を繰り返す浅草線内と違って、乗り入れ先では小気味良い高速走行を魅せる。
自分にとって5300形の注目ポイントは、独特な重低音の効いたVVVFの走行音。
特に停車時が独特だがそれは未だに健在で、そのままの音で最後を迎えることになりそうだ。
音鉄的な興味としては、同じVVVFでもJR東日本209系より強かったかもしれないw
西白井でデハ7001に遭遇。
1991年の北総II期線開通以後、主に羽田空港〜印旛日本医大間で共演してきた両形式。
夕焼けの下、まだまだ若い車両には負けぬと奮走を示してくれた。
その走りはまだ今日時点でも続いており、頼もしい限り。
北総線を走破し、京成線へ。
京成線内の行先でも、今なお京成佐倉や成田空港まで入る広域運用が存在する。
最近はさすがに東成田や芝山千代田には入ってはいないようだが。
京成電鉄の3700形とは同世代。
北総鉄道の7300形とともに、平成期の浅草線直通運転を支えてきた。
登場当時の地下鉄としては、ずいぶん攻めたデザインだったと思う。
設計は日立製作所デザイン研究所で、それを受け入れた当時の都営地下鉄もまた粋なもの。
押上からは、種別が特急に変わった。
平日21T運用は京急久里浜まで直通する、数少ないロングラン運用である。
都営地下鉄で一番古い歴史を持つ浅草線も、ホームドア設置など改良は着々と進んでいる。
泉岳寺からは京急へ。
車内はおろか、車外の三色LEDによる行先表示も登場当時は先進的だった。
何しろ、乗り入れ先のどこの路線も方向幕しか無かった時代の話である。
強烈なインパクトを残し、平成の時代を駆け巡った30年余り。
その活躍も、そろそろ終わりになりそうである。
この日、せめて京急川崎か横浜くらいまでは行こうとしていたのだが…
急用が入ってしまった関係で、京急線は青物横丁までと中途半端な区切りになってしまった。
やむなくここで、ひとまずのお別れである。
都営地下鉄は取り替えサイクルが短い…
なんて考えがちだが、思い直したらトータル30年越えは十分走ったほうだ。
これに限らず、どうも平成時代の車両はまだまだ新しい…とかいう錯覚を起こしがちでイカン。
いつ区切りが来てもいいように、可能な限り記録に歩く時はまさに今この時期だ。
年々暑さに厳しさが付き纏うが、可能な限り見続けていきたい。