2022信州旅、最終回です
今作では、東信の中心都市、上田市を訪ねます。上田城址をチラッと歩いた後、上田電鉄の全線走破をやってみたいと思います。また、その終点・別所温泉も街ブラします。ではスタートです^
前作は、松本市を出て、上田市へむけ峠越えするところで終わってました
松本市~上田市間は約50km、峠越えのコースはいくつかありますが、国道254号が一番道もよく、比較的緩やかです。上田市街へ入りました
上田城址の駐車場にWo号を駐めます。まずは上田城址から歩いてみます
(※Pはここ以外にもあります)
駐車場のすぐ北側はすぐ断崖になっていて、石垣が築かれています。その上が城跡なんですが、この断崖は「尼ヶ淵」という天然の崖です。その地形を利用して上田城は造られました。
では、城跡へ・
駐車場にあった↑大きな岩ですが、これ『江戸期の浅間山大噴火の時、上田から約30km離れた浅間山から流れてきた』というんです。恐るべし、大自然の力です。”流転の浅間大溶岩”と呼ばれています(※現地解説板による)
案内板に従って歩道を歩いてゆくんですが~
お濠に沿っているとはいえ、↑なにかこの直線感と道幅に、僕は「ん?」と。もしかして・・
予想はあたりました。これ『鉄道の廃線跡』です
↑駅ホームの跡も残っています。
↑ホーム跡の前に解説板がありました。それによるとここ、上田温電(※現上田電鉄)の北東線(※後の真田傍陽線)が走っていた跡です。元々はここもお濠でした。
(※↑は解説板にあった往時の光景、雪景色です)
後程乗る上田電鉄、現在は別所線1線のみですが、かつては上田市街から四方へ5路線も延びていました。↑のホームは旧”公園前”駅跡です(※1972年廃止)
上写真のトンネルの上が、城跡への入口です
ホーム跡から、城跡への橋へ
橋(※元跨線橋)を渡ると~
城跡内へ入りました
ご存じ、真田氏の居城・上田城です。天守は徳川軍によって破却され、現存しません。
城跡内に、↑旧上田市民会館が建っていますが、近年移転して閉鎖されています。解体して往時の二の丸を整備する計画があるそうですが、2022春時点ではまだ未着工でした
最近どこのお城にもいますが、上田城にもいました、↑武者の方々^
顔抜き撮影コーナーも、勿論真田氏です^
↑東虎口の門から、城内へ
門の傍の石垣には、ひときわ巨大なものも目につきます。これ「真田石」といい、全国の城では特にメインの門付近に競って巨石の石垣を築き、権威を示したとの事です
東門入ってすぐ、真田神社があります。
神社のすぐ南側が、冒頭ご覧頂いた尼ヶ淵の断崖です。
ここからは~
上田市街が望めます。↑北陸新幹線も走ってます
↑『真田井戸』
現地看板によると、この井戸から抜け穴があり、城の北側にあった砦まで延びていたとの事。敵に包囲された際の貴重な補給路だったそうです
このような仕掛けもある上田城、難攻不落の城といわれ、城主の真田氏は2度に亘りこの城で、徳川軍との『上田合戦』を勝ち抜きました。しかしその後、江戸幕府成立の2年前、1601年に上田城は徳川氏により陥落、天守はその時破却され、徳川氏は天下統一を果たしていったんですね・
天守は前述の通り現在ありませんが、↑櫓が3つ残っています。
7つあった櫓のうち、↑西櫓は唯一、建造当時のまま残る櫓です(※長野県宝)
あと、先程の東門の両側に、北櫓・南櫓があります。この2棟は廃城令によって払い下げられ、市内へ移築され遊郭として使用されていたそうです。それを後年住民運動によって買い戻し、現在地へ落ち着いたとの事
(※南・北櫓は見学可、西櫓は閉鎖中)
各櫓や真田神社の北側に、写真割愛しますが天守跡の空地があります。さらにその北側は、球場や児童遊園等に利用されています。
天守跡の北側のお濠は緑深く、いい雰囲気です^
北虎口の近く、観光客はほとんど来ない一角で、↑な塔がありました
『愛の鐘』と大きな文字がある、古びた塔です。
どこの自治体でもある防災無線のタワーかな?と思ったんですが、後日調べてみると、同市HPによるとこの塔、1961(昭和36)年の開設で、朝・昼・夕の3回、音楽を流しているとの事(※このうち夕方の曲は「夕焼小焼け」なので、他市町村の防災無線と同じ役割もしている)
観光客は東門や真田神社付近に集中しているので、上田城へ行かれたらぜひ北虎口付近も歩いてみて下さい。静かな城跡を味わう事が出来ます
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少し簡単になりましたが、上田城ブラを終え、上田駅にやってきました
北陸新幹線の駅設置により、大きな駅に生まれ変わった上田駅
駅前から出るバスにも、真田の家紋が^
上田駅は、JR(※新幹線)・しなの鉄道・上田電鉄の3社で共同使用しています
改札口は3社別々です
しなの鉄道の改札は、2Fコンコース中央です。新幹線開業によりJRから切り離され(※僕から言わせれば無理矢理)、3セク化された路線です。現在も国鉄型電車を使っています^
↑しな鉄改札です。こないだまでJRだったのに、3セク化されると不思議と雰囲気も3セク化してくるような気がします・
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そして~
今作のメイン、↑上田電鉄の改札です
これから全線走破していきます
改札周りも地方私鉄らしい雰囲気^
"鉄道むすめ"、上田にもいます^
八木沢 まいです
改札をうけ、ホームへすすむと~
電車が入ってきました!
いまや地方私鉄の定番、東急のお古です^
・というのも、同電鉄の親会社・上田交通は東急の子会社で、従来東急との関係が深い路線です
これからすすむ線路は、駅から出ると~
左へ急カーブして・
千曲川の橋梁までつづいている様子が、駅からもわかります。
・この千曲川橋梁ですが、2019年、全国に多大な被害をもたらしたあの巨大台風・19号によって千曲川が氾濫し、落橋しました。上田~城下間で部分運休がつづき、昨年(2021)3月に復旧開通しました。
今作ラストで歩いて見に行きますので、後程そこで詳述します。
まずは終点・別所温泉駅を目指します
列車本数は朝夕約30分毎、日中は毎時1本です
発車しました!
別所温泉駅まで、約30分の旅です
上田発車後1分も経たないうちに、電車は早速、去年復旧した千曲川の鉄橋を渡ります
上田の千曲川って、こんな市街地から近くを流れてたのか・
(※ラストで徒歩案内します)
鉄橋を渡りきるとすぐ1駅目・城下駅です。
離合線があり、対向車と出会います
上田電鉄は全線単線、全15駅、約12kmの路線です。途中、城下・上田原・下之郷の3駅に離合線あり。有人駅は上田と、車庫のある下之郷駅のみ。列車はワンマン、まぁ典型的な地方私鉄の運営パターンです
途中主要駅格の↑上田原駅です。戦前はここから「青木線」が分岐していました。上田城の冒頭でチラッと書きましたが、かつて上田電鉄(※前身会社)は、上田市街から四方八方に5つもの路線網を持っていましたが、昭和期までに次々廃止、今ではこの別所線だけになっています
家並が途切れ、車窓からは次第に、田んぼと山々が広がります
”塩田平”とも呼ばれる、上田盆地を走ります
車庫のある下之郷駅、同線の中間点にあたります。
座席は東急の面影を残します。
↑この日残念ながら降りれなかったんですが、下之郷の隣駅・中塩田駅は、同線で一番古いレトロな駅舎が現役です。1921年、当時の上田温泉電軌によって開業した、100年選手の駅です(※国有形文化財)
同線には1日乗車券もあるので、行かれるかたは是非この駅にも降りてみて下さい
終点が近づき、ガラガラになる車内
しかし途中には大学の最寄駅もあり、日中でも乗客は少なくないです
電車は2両編成、全列車ワンマンです
上田盆地を走る沿線は基本平坦ですが、終点・別所温泉が近づくと、少し上り坂になります
終点1つ手前の八木沢駅は、↑”鉄道むすめ駅名標”もw
そして~
上田から約30分、終点・別所温泉駅到着
レトロな雰囲気です^^
↑終端部です。線路は1線のみです。
各駅改札と、車内の運賃箱には↑の装置が付いています。
これは~
これ「QRコード読取機」で、同電鉄では現在(2022)、専用アプリをDLしたスマホでキャッシュレスで運賃を支払える、実証実験が行われていました。ICカードを導入するよりコストが安いそうです。広島電鉄でも近々この方式を採用するとの事で、ICカードが地方私鉄でなかなか普及しない原因はやはり”導入費”ですね・
改札を抜け、↑待合室へ
けっこう広々
千曲川橋梁復旧を祝う千羽鶴も。
多くの人の願いが叶い、見事全線復旧しました
(※ラストでご覧頂きます)
外観もレトロです
先程の中塩田駅やこの別所温泉駅等、昔からの駅舎が現役の上田電鉄は、全線に亘って日本遺産にも指定されている”生きた鉄道遺産”でもあります
・で、そんな貴重な鉄道遺産の一つが同駅すぐに保存されているので、見に行きます
駅ホームのはずれ、線路脇に、↑の古電車がポツンと停まっています。
↑このレトロな電車、かつては同電鉄の代名詞だった、『丸窓電車』の愛称で知られる5250型です。1927(昭和2)年製、齢90を重ねます。
1986(昭和61)年引退。上田駅からの最終運行で同駅到着後、そのままこの位置で保存されているとの事です
”丸窓電車”愛称の由来は、↑戸袋の窓だけが楕円形になっている事。当時としてはモダンなデザインだったんでしょうね・
ドアのところへ木の通路が付いてますが、現在は老朽化のため内部には入れません
かつては『上田電鉄といえば丸窓』といわれた程、鉄ちゃんには全国に知られた車です。実は僕も学生の頃、同線に初乗車した時はこの電車でした(古)
計3両ありました。あとの2両は長野県内の企業と学校で各々保存されているとの事。この事からも、いかに愛されていた車両だったというのがわかります
営業線の横、駐車場の片隅にポツンと保存されていました。
手入れはされているようですが、当別荘でいつも書く『屋根が付いてない保存車両は傷みが早い』というのが心配です・
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せっかく来たので、鉄分は一旦おいて^、別所温泉の街をブラっとしてみます
”信州の鎌倉”との異名もあるとの事ですが、鎌倉より全然静かで^^、のんびりと歩けるひなびた温泉街です
別所温泉には大きなお寺がいくつかあります。そのうち2寺、訪ねてみます
温泉中心部には、お土産屋さんや旅館が並びます
そんな中にあるのが、↑”北向観音”への参道の入口。
同温泉近辺に数ある寺院の中でも一番賑わっています
↑お堂が奥に見えていますが、参道は温泉街の通りから一旦谷間へ下り、そして観音堂へはまた登るという感じになっています。両側には土産屋さんが並びます
参道を通り抜けて~
再び登りの石段です
登った先には~
大きなお堂です。北向観音堂です。
正式には、この近傍にある常楽寺(※天台宗)の別坊だとの事。↑現在の観音堂は江戸中期の築と伝わります。お堂が北を向いて立っているのは珍しいとされ、この通称となっています
また、↑屋根が「橦木造り」という、長野市の善光寺と同じ珍しい様式で、”裏善光寺”との俗名もあるとの事ですが、同寺HPによると『当寺ではそのような別称は用いていない』とあります。また、長野の善光寺に参ったらここも参らないと”片参り”となるとの俗信もあるとの事ですが、同寺HPにはそれに関する記述はなく、同寺と善光寺は微妙な関係にあるのでしょうか・(謎)
たしかに、そう云われてみれば、何となく”ミニ善光寺”のような感じもします
境内には、ほかにもいくつか堂宇があります。
↑崖に沿うように、高床の独特な感じのお堂が・
このお堂、「温泉薬師瑠璃殿」といい、薬師如来を祀っているそうです。別所温泉を見守るように建つ北向観音ですが、各地の温泉地では古来、薬師信仰がさかんだったとの事で、温泉が”水の神”、そして”薬湯”として古くから湯治に用いられたことに由来するのでしょうか・
あと、ここ北向観音には、有名な木があります。
↑ツタ等が巻き付いたこの大きな木は~
この木、『愛染カツラ』といいます。ご年配のかたご存じの通り、TVドラマ化や映画化もされた同名の小説の着想を、作者・川口松太郎は得たという木です(※上田市天然記念物)
この別所温泉のある上田盆地(塩田平)は、信濃国分寺からここ別所温泉を貫く”レイライン”(※夏至の日、日の出の際に太陽からの光が伸びる線上)にあるとの事で、線上には寺社が多く、パワースポットともなっています。上田電鉄はこのレイラインに沿って走っています
そんな塩田平・上田は、長野県初、地域丸ごと日本遺産に指定されています
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もう1寺、国宝の三重塔があるお寺へ行きます
温泉街のすぐ北側にある、安楽寺(※曹洞宗)です。
温泉街を囲む山肌に抱かれて、諸堂が並ぶ寺院です。
参道は深い森の中へ・
”この深呼吸から第一歩”、ここから登りの石段です。ホント深呼吸したくなるようないい空気でした^
緑の中、石段を登ると~
山門をくぐります
本堂が見えてきました
天平時代の開創とも伝わる古刹で、信州最古の禅寺といわれています。鎌倉期は隆盛を極め、アノ鎌倉市の建長寺とも双璧をなす格があったとの事ですが、室町期以降は縮小しました。しかし、これからご覧頂く国宝の三重塔や、国重文の仏像数体を有し、栄華の名残を今に伝えます。
では、三重塔へ
↑三重塔への入口。ここから有料区域になります。
緑の中をすすんでいくと~
お~
見えてきました!
山肌の中腹に佇む、三重塔
安楽寺・八角三重塔です(※国宝)
同寺パンフによると、近年の調査によって、用材が伐採されたのが1289年と判明、鎌倉末期には建立されていたとの事。現存する日本最古の禅宗様建築だという事です
名の通り、八角形の塔で、高さ約19mとそんなに高くはないんですが、実際見て実にどっしりとした、存在感のあるつくりの塔でした。
前作でご覧頂いた松本城と同時に、長野県初の国宝に指定されたとの事です
また、↑周囲にお墓が写ってますが、なんとこの塔、墓地の真ん中に建っているんです。従って同寺にお墓を持つ檀家の方々は、年中無料でこの素晴らしい国宝を見る事が出来ますw
ここはなかなか良かったです。別所温泉へ行かれたら訪問必須です^
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そろそろ1作あたり容量が逼迫してきたので詳細割愛しますが、街の中心にある↑温泉会館には、別所温泉の歴史を紹介するコーナーがあるので入ってみて下さい
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駅に戻ってきました。もし今も丸窓電車が走っていたら、ホントこのレトロな駅、そしてひなびた温泉街に合うのになぁ~と思います・
上田駅に戻ります
発車しました、次回は温泉で泊まりたいなぁ・
上田駅へと戻ってきました。ではラストに、昨年復旧した千曲川橋梁へ歩いて見に行きます
前述の通り、千曲川は上田駅からすぐのところを流れています
駅東口から歩くと~
すぐに千曲川の土手に出ます。
先程電車で渡った、千曲川橋梁が目の前に
ご記憶のかたも多いと思いますが、2019年、東日本を中心に全国で多大な被害をもたらした台風19号、ここ長野県でも甚大な被害が発生しました。
北陸新幹線の車庫が浸水し、1両数億円の新幹線車両が多数廃車になるという衝撃的な光景は大きく報道されましたが、ここ上田電鉄でも、↑橋梁が落橋し、2年間に亘って不通(※バス代行)になっていました。橋梁部分を上田市の所有に移すという”上下分離”した事によって資金面で段取りがつき、2021年3月、復旧を果たしました
前作の松本駅のところでチラッとふれましたが、松本電鉄上高地線でも昨年、台風により橋が損壊し、今年(2022)復旧したばかりです。当別荘では災害で不通となった路線を度々訪れていますが、特にトンネルや鉄橋が被害をうけてしまうと、復旧には多額の費用がかかり、地方私鉄だけではもはや対応できなくなってきています。年々苛烈さを増す近年の気象には、今後も全国の鉄道は悩まされると思います・
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2022信州旅、全ての日程を終えました。再びWo号に跨り、上信越道小諸ICから帰京します
3作シリーズでおおくりした信州旅、これで終わります。第1回の諏訪湖や、第2回の松本城、思い出深い旅となりました。長い間ご覧頂き有難うございました
この梅雨がおわれば暑い夏ですが、全国ではコロナによる施設休業や行事中止が3年ぶりに解除される所も多く、久々に賑やかな夏になると思います。ご覧の皆様も熱中症に注意し、良い夏の旅に出て下さい(※まだコロナ禍が収束したわけではないので、対策は引続きお気をつけて)