省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

大糸線旧形国電車両運用図表 (1978-1981)

 今回は大糸線旧形国電最末期、1978年頃~1981年までの車両運用図表です。ソースは、当時北松本運転支所で写真を写させていただいた (1979.8) 運用表を基に、書き起こしたものです。本図はコピーしてファイルビュアーに貼り付けて拡大してご覧ください。

大糸線旧形国電運用図表 (1978-81)

 車両運用ですが、A1-5 (赤線) は旧形国電4輌の運用、A11-15 (青線) は同2輌の運用、A31 (緑線) はクモユニ81003の運用です。当時普通列車には急行の間合い利用 (165系) のものも結構ありましたが、本図には旧形国電以外の運用は入っていません。

 現在の大糸線はかなりの列車がワンマン化されE127系2両という運用が最も多いものと思われますが、当時は最低でも4輌、最長8輌まで様々なバラエティがありました。最長8両の運用は337Mの松本ー信濃大町間で、荷電をつけて7輌という編成もありました (221, 230M)。信濃大町以北はさすがに最大でも6輌止まりでしたが、それでも今から考えるとかなり長いです。信濃大町以北は、急行の間合い利用の普通列車(8輌)もあり、糸魚川から大町まで来るDC普通列車も走っていましたので、旧形国電の運用は3往復のみでした。急行の間合い利用の普通列車は8輌だったので全般的にかなりホームの有効長は長く取られていました。それでも一部の駅では有効長が足りず、一部車輛ドアを締め切り扱いにしていた駅もあったと思います。当時は登山者向け急行列車がかなり走っていましたし、金沢発松本行のディーゼル急行が糸魚川経由で入っていましたが、今日では皆無になってしまいました。南小谷直通の特急が辛うじて1本ありだけです。南小谷以北の廃線論議されています。

 クモユニ81003の運用は松本-信濃大町間に限定されており、クモユニも1輌しかなかったので、当然1運用しかありませんが、毎日結構運用量があって酷使されていました。予備車がなく、検査の際は両運転台車のクモハ40077が代走していたようですが、かなり車輛として調子が良くないと激務に耐えられなかったでしょう。

大糸線 白馬ー信濃森上
松川橋梁 325M6連 1981.5

大糸線 クモユニ81003を先頭とした運用
有明-穂高穂高川橋梁 1981.5