2022年4月1日(金)はJRグループが発足してまる35年の節目を迎えた日であり、この事を記念してJR北海道の「今」を探る(?)旅に出ようと思い立ち(あくまでもコジツケで、実態は単なる乗り鉄旅)、3月25日から無事に発売再開された『HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス』(LOVEパス)を使用して道内各地を廻る事にしました。それ以前からLOVEパスを利用して私は頻繁に乗り鉄旅をしてきたのですが、今回に関しては今までのフリーパス類でも有効期間内に果たした事がなかったJR北海道の全ての在来線を完乗する!という命題を課す事にし、実行に移したのであります。
またまた新鮮味のない記事にはなってしまいますが、今回から数回に分けて、4月1日から6日間の旅行記を紹介させて頂きます。尚、他の話題の記事を挟む場合がありますので連続してアップしない場合がございますが、どうかご了承ください。本来は4月中に順次アップするつもりでしたが、私自身極度のスランプ状態に陥っているために記事の投稿のペースがなかなか進みません。ホント、旬な話題を提供できなくて心苦しく思っております。
ところで…発売期間が二度も延長されたLOVEパスですが、予定の8月31日を待たずしてついに発売終了する見込みである事が6月17日にJR北海道HPにて発表されており、同日の時点では3~4週間後の見込みとされていますが、駆け込み需要も見込まれるため7月の3連休までは持たない可能性が大でしょう…(実際の発売終了日の「ピタリ賞」を当てた人から抽選でLOVEパスをプレゼントする企画があれば面白いかも!?)。
それでは本題に入ります。
4月1日は学園都市線の最寄り駅から当別発新千歳空港行520M(札幌から快速エアポート60号)に乗り、札幌駅に出向きました。この列車はあくまでも番外という事で。この次から、旅の本番に入ります。
第1日目:4月1日 From札幌→To網走
乗車路線:函館本線・宗谷本線・石北本線
乗車距離:374.5㎞(最寄り駅からの札沼線分は含まず)
「私は石北線のヌシ」
第1ランナー:札幌6:56→北見11:27(※時刻は定刻の場合)
函館・宗谷・石北本線 71D特急オホーツク1号
編成表:(☆と太字表記は私が乗車した車両。以下同じ)遠軽←①☆(指)キハ183-8566 ②(G)キロ182-7553 ③(指/自)キハ182-7552 ④(自)キハ183-1503→札幌・網走
まず第1ランナーとして選んだのが、私が最も大好きな現役特急型車両であるN・NNキハ183系の特急オホーツク1号。奇しくも今年2022年は特急オホーツクが誕生してからまる50年という節目の年!鉄道趣味原点の土地でもある網走で生まれ育った私はキハ80系時代から数えきれない程乗っており、いわば鉄道趣味人生を語る上では欠かす事のできない列車(ただ…ロシア語の愛称名なのは気に入らないが)。
しかし…なぜ網走じゃなくて北見までの乗車?まぁ続けて読んでください…。
JR北海道では『いまこそ輝け!北のキハ183系』というキャンペーンを実施しており、その一環でキハ183形とキロ182形の各1両を復刻塗装するという事で2~3月に塗装作業を行うと告知していましたが、この時点ではその復刻塗装車は出場しておらず、流石に同社創立35周年の節目の日には間に合いませんでした。結局、4月下旬にキロ182-504のハイデッカーグリーン車が出場、先行して営業運転に投入、その後5月3日になってキハ183-8565が営業運転に就いて2両揃ったのですが、必ずしも2両揃って運用に就くとは限らず、札幌駅からの列車に当たるかどうかは運次第です。

私が乗車したのは1号車指定席ですが、その最前列(遠軽からは最後列)展望席(いわゆるカブリツキ席)である17Aです!この展望席、1号車は従来から指定席ですが、札幌方の4号車は自由席のため先着順で乗る事ができました。しかし、7月2日以降全て(1日は一部列車)の特急オホーツク・大雪の17A・B席に関しても指定席扱いとなり、双方向とも予め予約が必要になる事から展望席の争奪戦が一層熾烈を極めています(特に札幌~網走の全区間日中を走行するオホーツク1号に関しては10時打ちで瞬殺される事も多々アリ)。


1号車のキハ183-8566(原番号1566)は復刻塗装となった8565(同1565)と共に、当初1550番台として製造された1990(平成2)年生まれのキハ183系一般車(リゾート編成とスーパーとかち用キサロハ182-550を除く)の中では最終ロット(1990年5月30日付)。JR北海道としては初の新系列特急型車両の785系電車と同級生(既に廃車となったNE-1・2ユニット落成日の1週間前)ですが、やはり原設計が古いため、785系程の洗練性はありません。

6:56に札幌駅を発車。5番線から同時出発の4828M特快エアポート66号に序盤から追い上げられ、アッという間に抜き去られてしまいました…。

今回展望席に座ったのですが、フロントウインドウの手前には乗務員(運転台に2人乗務)のカバンがドカッと置かれており、着席態勢だと前方視界が利かないという悲劇😱
JR北海道の『いまこそ輝け!北のキハ183系』HPには、「道内の定期特急列車としては唯一客室からの前面(もしくは後面)展望がお楽しみいただけます」と記載されていますが、それに加えて「※業務の都合上、乗務員室に当社関係者が添乗する場合や荷物を置く場合は、車窓をお楽しみいただけないことがあります。予めご了承ください。」の文言も記載されており、せっかくの『カブリツキ席』を取ったにも関わらずこういうリスクも多々ある事を理解して頂ければ…と。特にオホーツク1号の上川以東では、保線や電気の巡視員に「立ちンボ」された事もかなりの確率でありましたよ…😢

結局、長時間抑止されたため10:45になってオホーツク1号は北見駅での運転打ち切りが決まってしまいました…。初日から出鼻をくじかれた格好ですが、この日は網走泊と最初から決めていたので乗り鉄の行程的にはさほど影響はありませんでした。しかし、網走からレンタカーを借りる予定(じゃらんで予約)をしていたのでキャンセルを余儀なくされ、交通機関のトラブルが原因のためキャンセル料は免除されましたが、寄りによって期間限定ポイントを料金に充当していたため、その分に関してはまるまる損失する事に…😭
長い間車内に留まっていた乗客には、JRから非常用に備蓄されているミネラルウォーターとカロリーメイトが配布されました(実際に配布したのは上川駅の清掃員の方)。ちなみにこの非常用物資は、はまなす編成の特急宗谷が吹雪のため幌延駅で運転打ち切りになった時にも戴いています。

ようやく、処理を終えたのか現場からハイモが戻ってきました。
熊を射殺したとの話は聞かれなかったので現場から立ち去ったらしいですが、鹿の死骸はどうやって回収したのかは不明…。

その間、遠軽行4623Dとなる旭川運転所からの回送列車(キハ40形2連)も到着。本来は11:10の発車ですが、オホーツク1号が発車して次の閉塞区間である中越(信)まで行かない限り4623Dも足止めを食らわされたのでした…。

ようやく不通は解消されましたが、まずは対向列車として抑止されていた72Dオホーツク2号が12:07に到着、ようやく出発信号機が青を現示、2時間53分遅れでオホーツク1号も発車したのでした。


2001年6月30日限りで廃駅となった天幕駅跡を通過。元々交換設備があった名残で、両開き型分岐器跡のカーブがスルー化されずそのまま残っています。

列車は北見峠を上り、石狩川の支流(源流の1つ)ルベシベ川沿いの谷間を抜け、道内最高地点の停車場である標高634m(東京スカイツリーと同じ高さ!)の上越信号場を通過後、石北トンネルに入ります。トンネル内にサミットがあり、その標高は640m。
尚、今回はありませんでしたが、列車によっては車掌から北見峠についての観光案内があり、「冬の北海道の中でも特に厳しい自然環境の中を走行…」(※車掌携行のタブレット端末の大橋敏夫アナの音源を流す場合もアリ)の文言にもある通り、鉄路の維持管理の苦労は計り知れない事が窺えます。



北見峠は日本海に抜ける石狩川水系とオホーツク海に抜ける湧別側水系を分ける分水嶺。石北トンネルを抜けて『北見国』(私がいう『網走管内』)に入り、湧別川の谷間沿いを走り抜けます。

本来は金華(信)で交換する旭川行3582D特快きたみは、白滝駅での交換となりました。
この日はキハ150-16(元山線用)による運用でした。

白滝~下白滝(信)で湧別川に最も近い、いわゆる『白滝発祥の地』付近を走行します。

下白滝(信)~丸瀬布では鹿の群れに遭遇…。
写真ではわかりづらいですが、残雪の中に逃げ惑う鹿の姿が見えます。この区間は石北本線の中でも特に鹿の出没が多く、特に夕刻~夜間帯を走行する大雪3号とオホーツク3・4号ではかなりの確率で鹿との接触事故が発生しており、線路沿いには一応柵も張り巡らされているのですが全く効果がないようです。

遠軽町のシンボル・瞰望岩が見えてきて、2時間52分遅れでようやく遠軽駅に到着。
ここからは1号車が最後尾となり、後面展望となります。


遠軽駅は13:26に発車。遅れはさらに広がり、2時間54分に拡大…。
湧別川を渡り、瞰望岩を後に見ながら遠軽のマチを後にします。


そして、生田原を過ぎると石北本線のもう1つの難所・常紋峠越えに差し掛かります。

タコ部屋労働者の過酷な使役によって建設された常紋トンネルを抜け、北見市(旧留辺蘂町)に入ります。工事中に命を落とした労働者の幽霊が出るという怪談がまことしやかに伝えられ、かつてCTC化される以前は国鉄職員が勤務するのを嫌がった常紋信号場も今は廃止されて、ポイント跡のスノーシェルターがその姿を留めているのでした…。


留辺蘂駅では釧路から転属してきた国鉄一般色(ツートン)のキハ40 1759による網走発遠軽行4660Dと交換。国鉄色関連の転属はこの1両と思われていましたが、なんと!もう1両のツートン1766と、『タラコ』こと1749と1758も5月になって他の40と共に遅れて旭川へ転属しており、復刻色のキハ183系と併せて今まさに石北本線が『アツい』といえるでしょう。
(タラコ2両と1766が廃車される公算を予想した事についてお詫びします🙇♂️まぁ…私は車両運用のプロじゃないのでアテにしないでください…)

列車は北見盆地の直線区間に入ります。

そして北見の市街地に入り、踏切解消のために地下に掘られた北見トンネルをくぐり、抜けると終着・北見駅に到着します。


14:23、2時間55分遅れでようやく終着・北見駅に到着しました。
札幌からの所要時間は7時間半弱…。乗客の皆様、お疲れ様でした。一般客はほとんど普通乗車券+特急券、もしくはRきっぷやえきねっとトクだ値といった企画乗車券を利用していると思われるので特急料金分の払い戻しがありますが、私はLOVEパス利用のため、当然何の補償もありません。まぁその事を承知で利用していますので…。

車両はそのまま、車内整備を済ませると6084D大雪4号として折返します。
既に1時間05分遅れではありましたが、14:30に旭川へ向けて出発していきました。



(液晶ディスプレイが「11月29日」の日付となっている事に現場の混乱が窺える)
思わぬ形で途中下車を余儀なくされた北見駅。
駅舎は国鉄時代の1983年10月に現在の建物となり、かつては車掌区も併設されていました。

「再会、そして永遠の別れ…」
第2ランナー 北見15:00→網走16:01 石北本線 普通4663D
編成表:網走←☆キハ40 1712+キハ40 1745→遠軽
思わぬ形で普通列車による移動を余儀なくされましたが、北見駅からは後続となる遠軽からの4663Dでこの日の最終目的地である網走へ向かいます。当然、私以外のオホーツク1号の網走方面への乗客もコレに乗る事になります。
本来ならば14:31に既に到着しているのですが、例の熊騒動によるダイヤの乱れもあって遅れて運転していたのでした。

14:56にようやく1番線に到着。実はこの車両こそが、上川駅に停車していたキハ40の2連で、4623Dで遠軽駅に到着後、一旦乗客を全て降ろしてエンド交換、網走へ向かう4663Dとなるのです。そして、白滝~網走~(釧網本線)緑で使用されるキハ40の送り込みも兼ねた重要な役割を持つ列車なのでありました。
今回乗車したのは、先頭のキハ40 1712。拙ブログ『瀬戸瀬から志布志ゆきの旅』の記念すべき第1ランナーとして、瀬戸瀬駅から旭川駅まで乗車した思い出の車両。


発車までの間、北見運転所の車庫からは釧路から転属してきた『道東 森の恵み』ことキハ40 1779(※3月7日に新得→釧路で乗車)と、JR北海道色の1725のコンビが出区していきました。この後15:22発の東相内行4662Dとして運用される車両で、一旦停車の後、柏陽駅寄りの引き上げ線に入った後1番線に転線されます。

この日は平日(金曜日)だったので、車内は下校の高校生の姿が多かったです。北見駅の他にも柏陽駅と次の愛し野駅にも高校があり、主に美幌から通学している生徒の帰宅列車という、重要な役目を持っているのでした。

緋牛内駅でキハ40 1735単行の網走発西留辺蘂行普通4664Dと交換、いずれもオホーツク海に注ぐ常呂川水系と網走川水系を分ける分水嶺を越えて美幌平野に出ると、遠くに斜里岳と藻琴山が見えてきます。
この後到着の美幌駅で通学生の大半が下車、車内はガラ空きとなりました。

女満別から先は網走湖畔を走行するのですが、まだ湖面は結氷していました。ただ、雪融けが進んで道路は全くの乾燥路面。


大曲トンネルを抜けると網走湖とお別れし、それに通じる網走川沿いに出ると終着駅・網走はもうすぐ。

網走の市街地に入り、1987年3月19日限りで廃線となった湧網線の廃線跡が合流。この付近には大曲仮乗降場がありましたが、市街地にも関わらず1日1往復しか停車しないという、一体何のために存在していたのかわからない謎の乗降場でした。

所定の16:01から約5分遅れで、終着の網走駅に到着。
今回乗車したキハ40 1712(原番号は241で、1982年5月7日新潟鐵工所にて製造)ですが、釧路から転属してきた『タラコ』1749・1758や国鉄一般色1766などと入れ替わりに、5月17日に石北~釧網本線経由で釧路運輸車両所へ向けて廃車回送されてしまったとの事で、私にとって思い出の40の一つがまた姿を消す事となりました…😢
どういうワケか、キハ40系の最終年式である1982年製の車両については先に消滅したキハ48形(※一部はミャンマーへ中古車として輸出)も含めてほとんどが廃車になっているようで…。「生者必滅」とは言いますが、決して年式が新しいからといって最後まで活躍するとは限らないという事実を思い知らされるのでした。合掌。

尚、隣の2番線には接続列車となる16:17発の釧網本線4731D(キハ54 507『流氷物語』白ラッピング)が停車していましたが、この日の乗り鉄はここまで。この4731Dですが、15:10発の釧路行4729Dと時間が接近しているため、もう少し時間を繰り下げて6081D大雪1号に接続すれば良いのに…と思っているのですがなかなか実現しません。どうせ釧路駅で特急おおぞらと接続しないのだから、途中の停車時間を見直す等のやり繰りをすれば不可能ではないと思うのですが?
網走駅の駅名標ですが、今回は敢えて湧網線でかつて使用されていた旧0番線ホームに今も残る国鉄仕様の吊り下げ電照式を載せておきます。反対側の1番線側はJR北海道仕様になっているのは言うまでもありません。隣駅表示の「ふたみがおか(二見ケ岡)」が消されていますが、廃線から35年経った今もその面影を留めています。この湧網線こそ、私の純然たる『乗り鉄』の原点でした…。
ただ、電気代といった経費節減策から吊り下げ式駅名標の電照式タイプはJR北海道管内から次々と姿を消しており、コレもいつまで見られる事やら…。

石北本線の終着駅・網走駅舎。
1977年12月に現在の建物が完成、同年の映画『幸福の黄色いハンカチ』のロケ当時は改築工事中で、映画にも工事の囲いが映っていました。まさかの工事中に多分映画スタッフも頭を痛めた事だろうと…。エキゾチックなイメージだった木造旧駅舎は旅人に大変な人気がありましたが、その反面観光客の多い時期は手狭だったという事もあり、敢えなく解体されて鉄筋コンクリートの駅舎に建て替えたとの事。私が物心付いた当時は既にこの駅舎だったので、長年この建物に慣れ親しんではいるのですが。

私が生まれた土地で、鉄道趣味の原点でもあった網走ですが、既に親も全て他界し、実家もないため今や単なる旅の中継地点でしかありません。
この日は常宿である『東横INN オホーツク・網走駅前』にチェックイン。

私は既に3回目のワクチン接種を終えているため『どうみん割』の適用でおトクに泊まる事ができました。チェックイン時に免許証とワクチン接種券を提示、どうみん割利用条件の同意書を記入。適用条件に合致すれば宿泊費が安くなるのに加えて『ほっかいどう応援クーポン』4枚、計¥2000分が配布されます。尚、6月中旬以降当ホテルでのどうみん割は限定数に達したため、受付を終了しています(今後の動向は不明)。

ホテルの客室から見た網走駅。
トレインビューの宿というのも、当ホテルの魅力なのであります。今回は運良く(?)駅側の客室に当たりましたが、廊下を挟んで逆側の網走川側の客室もあるため、空室に余裕がある際は事前にホテルに連絡してリクエストをしておいたほうが良いでしょう(この時はどうみん割利用の旨を連絡する際に申し込んだ)。

この日の夕食は、私が網走時代からよく利用していたホカ弁『こがねちゃん弁当』網走店の『イカから明太(ノリ弁の一種)』と『唐揚げ』をホテルまでデリバリー。人それぞれ好みはあるでしょうが、私はこがねちゃんの鶏唐揚げが大好きで、子供の時からずっと親しんできたという事もあり、コレを越える唐揚げにはいまだに出会っていません。ただ、営業時間が18時まで(休日定休、土曜日短縮営業)なのがちょっと残念ですが。

初日4月1日は学園都市線を含めて3本の列車のみの乗車でしたが、今回はここまで。
2日目となる4月2日(土)は、釧網線からの旅を紹介します。尚、先述の通り他の話題のブログ記事を挟む場合がございますので、必ずしも連続してアップするとは限りません。ご了承ください。
つづく