115系 / 気がつくと随風而逝 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

115系 / 気がつくと随風而逝


久しぶりの115系の写真ですが、それもそのはずで117系 WaistExpress銀河をUPしている最中は、ずっと保留にしていました。

終わってからも、RedWing-227系の写真がたまってしまっていたり、新幹線や広電電車の写真を挟んでみたりしたので、やっと再開となった次第です。

ただ、広島エリアに115系がいた時代と比べて、そこまで枚数が多い訳ではないので更新ペースと消費量(UP枚数)を考えると、ちょうど良いかも知れません。



さて、今回の写真ですが昨年10~12月に撮影したもので、旧年中の115系を全部出しました。

広島へ住んでいると岩国まで行くと115系は普通に会えるものの、TwilightExpress瑞風を南岩国で撮影すると、帰宅列車にはRedWing-227系に乗って岩国へ戻る時代になりました。

盤石に思えた岩国~下関間も、少しずつ115系終焉の足音が遠くから聞こえて来るようで、タイトルを″随風而逝″としましたが、これは″風と共に去りぬ″と読みます。



永遠不滅のように思えた当たり前の世界が、ある日から音を立てて崩れ去るように、時代は移り変わる•••••まさに″風と共に去りぬ″です。

スカーレット オハラはラストで「タラへ帰ろう」と言って立ち上がりますが、夕日は時代の終焉を表し、迎える朝は新しい時代で、故郷へ戻ってももう今までの暮らしは無いとのメッセージ。

時は移ろい変革し続けるものなので、今回のタイトルに風と共に去りぬと漢文で付けました。



115系はそれでもまだ身近な存在ではありますが、実は日本全国ではあれだけの勢力を誇っていながら、もう存在は残り14%まで減っています。

115系は日本国有鉄道が1963(昭和38)~1983(昭和57)年に、関東・中部・近畿・中国の各エリアに投入した近郊形直流電車。

国鉄分割民営化そしてJRグループ誕生となってからも、115系は多くの直流路線で運行されてきましたが、新型車両の投入や経年劣化により廃車が進みました。



JRが誕生した1987(昭和62)年4月1日時点では、JR東日本・JR東海・JR西日本に引き継がれましが、JR東海では2009(平成21)年に廃車が完了しており、35周年だった2022(令和4)年4月1日時点では、JR東日本に22両とJR西日本243両でした。

他にもJR東日本からしなの鉄道へ譲渡された115系も62両ありましたが、2020(令和2)年に新型車両を導入して2022(令和4)年4月1日時点では45両となりましたが、その後8両が廃車となりました。

しかしこれはあくまで現存車の話しで、実際の稼働車はJR東日本では事実上0両、しなの鉄道では37両、JR西日本で241両となっています。



JR西日本の内訳は岡山エリアに157両、山口エリアに84両が稼働しており、山陽本線 姫路~三原・岩国~下関と、伯備線、山陰本線 伯耆大山~西出雲、赤穂線 播州赤穂~東岡山、福塩線 福山~府中、本四備讃線(瀬戸大橋線) 茶屋町~児島、そして6月12日に開業112周年を迎えた宇野線で乗ることができます。

しかし既報の通り来年度以降、岡山エリアに227系101両が順次投入されるので、115系はふと気付くと風前の灯火となっていることが確実です。

尚、JR東日本では 115系ラストランの翌日2022年3月12日午前0時過ぎに公式サイト内「列車カタログ」から115系のページが削除され新潟地区の「越後線、弥彦線」が削除されました。



この2枚は京都駅での113系です。

岡山エリアの113系は115系と同じ黄色一色なので、パッと見では区別が付きにくいですが、京都には115系がいないので。

しかし115系が取り上げられる機会が多いように感じますが、113系も同じ絶滅危惧種であることには変わりません。




前回の115系の記事は昨年12月17日だったので、ぴったり半年間の空白でした。

その空白を埋める話しで今回は 終わります。

ペースは落ちますが、また時おり115系をUPしていきたいと思いますので、宜しくお願い致しますね。

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