はコロナ禍の利用者激減は、公共交通機関を存亡の岐路に立たせています。バス運転手としても、バス利用者としても『バスを残してほしい』と思います。
鉄道のフィーダー輸送の役割のある大都市圏の事業者は鉄道輸送や沿線の事業者・学校等により減少幅は少ないですが、地方都市は沿線人口の減少とコロナ禍のダブルピンチとなっています。
地方都市では路線バスが交通インフラとして残る事が出来るのでしょうか?
掛川市図書館に運輸省名古屋陸運局が1980年3月にまとめたレポート"モデル定住圏における
バスサービス確保に関する調査報告書"が蔵書されており、このレポートに資料として少ない東遠地域(掛川・菊川・浜岡)のバス利用実績資料📃が記載されています。掛川市内のバス事業は昭和末期(1988年4月)、大井川鉄道が撤退、静岡鉄道(掛川営業所)は分社化(掛川バスサービス)されています。分社化によるバス路線維持の流れは1990年代に各地で見られるようになりましたが、掛川地区の流れは他地区に比べてその取り組みは5〜10年ほど早く行われていました。
全て戦中〜戦後混乱期に製造されたトヨタKCと推測できます。掛川駅北口広場の北側にバス乗り場がありました。
背後の建物は手前より静岡鉄道掛川駅前案内所があり東遠地域に幅広く路線を伸ばし、更に新路線の開業が昭和40年代までつづきました。
静岡鉄道バス路線図
1961年11月16日現在(浜岡・菊川・掛川地区)
静岡鉄道バス路線図
1961年11月16日現在(袋井・森・磐田地区)