省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

クモハ51800代 第2次車トップバッター 身延線 クモハ51814 (蔵出し画像)

 クモハ51804以降の800代では、本車からクモハ51の第2次車になります。つまり、当初から全室運転台車として製造された車です。そのため、第1次車とは異なり、運転台扉とその後位の窓の間隔が開いています。このグループも関東仕様の偶数車でした。

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クモハ51814 (静ヌマ) 1981 富士電車区

 窓から垣間見える座席の背もたれから判断するに、本車は客室内のニス塗りが維持されていたようです。

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クモハ51814 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

 この2次車からは、なぜか窓のHゴム化施行の比率が下がっているケースが多いようです。製造年の古いものからHゴム化を一所懸命施行しだしたものの、そこまでコストを掛けることはないと、最低限のHゴム化にとどめるようになったのでしょうか。因みに70系も、後年1次車は戸袋窓などかなりHゴム化が進められましたが、2次車以降はあまり進められていません。

クモハ51814 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

 

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クモハ51814 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

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クモハ51814 (静ヌマ) 1981.4 富士電車区

 

クモハ51814 (静ヌマ) 1980.3 富士電車区

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クモハ51814 (静ヌマ) 1981 富士駅

本車の車歴です。
1937.3 新潟鐵工所製造 (モハ51012) 東ミツ → 1943.10.29 改造 大井工 (モハ41067) → 1950.5.22 大ミハ → 1951.4.4 座席復旧 吹田工 → 1952.3.1 改造 吹田工 (モハ51012)  → 1954.1.10 更新修繕I 吹田工 → 1956.3.1 大タツ → 1970.2.17 静ヌマ →  1970.6.10 改造 浜松工 (51814)  → 1981.9.8 廃車 (静ヌマ)
 本車はもともと新潟鐵工所で製造された関東向けモハ51012でした。なおモハ51の中で新潟鐵工所で製造された車は珍しく、3台のみでした。その後大阪にやってきたあと、宮原→高槻と移りますが、多くのクモハ51が1961~2年にかけ、宮原区の80系の高槻区への移動で明石区に移動になるものの、本車は例外的に高槻に居残ります。そして1970年に身延線にやってきて、身延線旧形国電終焉までそこで活躍しました。