その2(№5862.)から続く

毎週金曜日更新に変更したばかりでありながら、いきなり遅れてしまって大変申し訳ございません。
今回はホームドアを初めて本格的に採用した普通鉄道として、営団地下鉄(当時)南北線を取り上げます。

南北線は「都市計画7号線」といい、構想自体は昭和30年代からあり、既に昭和43(1968)年には計画が示されていましたが、第一期の工事区間である駒込-赤羽岩淵間の着工が昭和61(1986)年と、かなり遅い時期の着工となりました。これは、千代田線・有楽町線・半蔵門線など、既存路線のバイパスルートや混雑路線の都心乗入れルートの構築が最優先された結果でもあります。
南北線の建設に当たっては、「7号ビジョン」と呼ばれるコンセプトが採用され、それに基づいて進められました。
「7号ビジョン」の内容は

① 利便性・快適性向上
② ワンマン運転の実施
③ ホームドアの設置
④ 建設費・運営費の削減

を骨子とするもので、ホームドアの設置は上記③に基づいています。
南北線の各駅に設けられたホームドアは、天井まで達する「フルハイトタイプ」といわれるもので、これが本来の意味の「ホームドア」といえます(狭義のホームドア)。ただし、東急の管理駅となる目黒駅だけは、ハーフハイトタイプの「ホームゲート」となっています(広義のホームドア)。
ただし南北線各駅(目黒駅除く)のホームドアは、上部に開口部があり、完全にホーム部分が密閉された形態にはなっていません。この点は、島秀雄氏のコンセプトが不徹底だったことになりますが、同時にこれは「列車風」と、それに起因する騒音の問題もあったのではないかと思います。全く開口部のないフルハイトタイプのホームドアを採用してホームを完全に「部屋」にしている例は、京王線布田駅がありますが、この駅は列車が通過するたび、何とも形容しがたい不気味な音を発しますから。これのおかげで布田駅は「京王美佐島駅」という、あまりありがたくない異名をいただいているようです。

…余談はさておき。

駅にホームドアを設ける際、課題となるのは「停止位置の精度の確保」ですが、それでは営団地下鉄はどうやってその制度を確保するシステムを構築したかというと、自動列車運転装置(ATO)の採用。この技術は、既に昭和37(1962)年に日比谷線で試験運転が成功し、実用化への障壁はなくなっていましたが、これまで本格的に採用した路線はありませんでした。営団地下鉄では、南北線が本格的に採用した初の例となっています。他には、車両にテレビモニターを搭載し、駅ホームの状況をモニターで確認できるモニタリングシステムの搭載も、停止位置の正確化に寄与しています。これらのことから、営団地下鉄では南北線で運用する専用車両9000系を用意、同系はATOシステム・駅モニタリングシステムにそれぞれ対応しています。後に乗り入れることになる東急・埼玉高速の車両も、身なりは異なりますが南北線のシステムに対応しています。
勿論、停止位置の精度を厳密に要求しなくてもよいのであれば、運転士の負担は軽くなります。しかし、その代償としてホームドアの開口部を大きくせざるを得ず、そうなればさらに筐体の重量が増加するばかりか、可動部の構造が複雑になってしまいます。そのため、停止位置の精度を確保することは、ホームドアの開口部を小さくすること、具体的には筐体重量の増加の抑止と可動部の複雑化の防止を図ることができるということでもあり、両者のせめぎ合いでもあります。
そこで営団地下鉄が割り出した最適値は、ホームドアの開口部を2000mm(2メートル)とすること。この値は、列車の客用扉の幅1300mmに、多少の停止位置のずれに対応すべく、左右350mmずつの余裕を持たせたもの。このくらいの余裕があれば、ATOによるバックアップが働くので、運転士の負担はそれほどでもないものと考えられました。
なお、各駅のホームドアの開閉ですが、係員の操作や車両のドアに連動して自動的に開閉するシステムとなっており、これも運転士の負担を軽減することに寄与しています。

ともあれ、平成3(1991)年11月29日、南北線の第一期開業区間である駒込-赤羽岩淵間が開業しました。これは、「各駅にホームドアを備えた初の普通鉄道」の開業として歴史に刻まれる出来事ですが、今年はその出来事から31年経過したことになります。

その後、南北線は延伸を繰り返します。
当初、営団地下鉄は駒込-目黒間を一気に開業させるつもりだったようですが、溜池山王駅付近や白金高輪駅付近が難工事になったことなどにより、以下のとおり3回に分けての開業となりました。

平成8(1996)年3月 駒込-四ツ谷間開業
平成9(1997)年9月 四ツ谷-溜池山王間開業
平成12(2000)年9月 溜池山王-目黒間開業(南北線全線開通)

これら新規開業区間の各駅は、目黒駅以外第一期開業区間と同じフルハイトタイプのホームドアを採用しています。また南北線の各駅は、第一期開業区間を含めて8連に対応する設備とされていましたが、列車の編成長が第一期開業時は4連、四ツ谷開業時から現在に至るまで6連とされたため、使用しない分は仮設のままとされていました。最近、東急車の乗り入れのみとはいえ8連の運用が実現し、これら仮設のままだったホームドアも、全駅で本設化されました。8連の乗り入れにより、ようやく南北線は本来の姿になったことになります。

南北線の成功は、普通鉄道におけるホームドアの有用性を知らしめることになりました。
勿論、ホームドアとて万能なツールではなく限界、短所もあることは事実ですが、それでも転落、触車事故を予防できることから、平成12(2000)年の所謂「交通バリアフリー法」によって、新規開業の鉄道路線に設置が原則として義務付けられました。
そのような流れで、既存路線にもホームドア設置の機運が高まるのですが、既存路線への設置は、ハーフハイトタイプの「ホームゲート」が主流となりました。

次回は、既存路線へのホームドアの設置がどのように進められてきたかを見ていきます。

その4(№5868.)へ続く