省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

運行灯がHゴム化されていた 身延線のクモハ51812 (蔵出し画像)

 こちらも元関東向けクモハ51第1次車を低屋根化した車輛で、元番号はクモハ51009でした。このグループは51系中、唯一半室運転台だったグループで、後に更新修繕の際に全室運転台に改められました。またこのグループは1960年代に運転台窓のみならず全車運行灯窓までHゴム化され、さらに戸袋窓のHゴム化も施行された車両が多かったです。本車も例外ではありません。

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クモハ51812 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

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クモハ51812 (静ヌマ) 1977.9 富士駅

 元半室運転台のため、乗務員室扉の後位の窓が、乗務員室扉にすぐ隣接しています。なお、車両によっては1次車でも運転台を全面改修して、2次車以降と同じ窓配置になっているものがあります(51804, 806808)。本車の場合半室部分を残しながら、全室に延長していることが分かります。

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クモハ51812 (静ヌマ) 1980.3 富士電車区

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クモハ51812 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 

 また、1-3位側ですが、同じ元半室運転台車で半室部分を潰さずに全室に延長改造した 51001や51810のように、延長したため運転台後位の窓をつぶした車両もありましたが、本車は潰されていません。本車と同じパターンには、岡山運転区にいた 51003, 005 最後までガーランドベンチレータで残された京阪神緩行線名物車輌 010 がありました。但し、800代車のなかでは本車のみでした。

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クモハ51812 (静ヌマ) 1981 富士駅

 窓から垣間見える座席の背もたれや戸袋窓を見る限り、客室内部はニス塗りが維持されていました。810より若番の車はことごとくモスグリーンにペイント塗されていたようですが... クモハ60に合わせる形で番号順にペイント塗施行していたのが途中で中止になったのでしょうか..?

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クモハ51812 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 

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クモハ51812 (静ヌマ) 1981 富士電車区

 静鉄の旧形国電はテールライト付近にあるステップが、なぜかライトの下に移設されているケースが多いのですが、本車の大きな特徴は、移設されず、上のままでした。

では、本車の車歴です。

川崎車両製造 (モハ51009) 1936.4 使用開始 東ミツ → 1944.3.18 改造 大井工 (41064) → 1950.5.22 大ミハ → 1951.6.5 座席整備 & 更新修繕I 吹田工 → 1952.4.1 改造 吹田工 (51009) → 1956.3.1 大タツ → 1957.8.29 更新修繕II 吹田工 → 1961.10.1 大アカ → 1970.1.27 静ヌマ → 1970.7.11 改造 浜松工 (51812) → 1981.7.1 廃車 (静ヌマ) ※最終全検 55(1980)-6 大船工

 東ミツ → 大ミハ → 大タツ → 大アカ → 静ヌマと、関東生まれで最後は身延線にやってきたクモハ51の典型的な経歴です。大ミハが手狭になり大タツへ、そして大ミハへの153系の配備に伴う大タツへの80系の移管で大アカという経過です。なお、本車は身延線旧形国電置き換え時に、6.12に真っ先に運用を離脱した1輌でした。


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