本車は原型のクハ47の1輌で、クハ47005~7の3輌は外見が非常に似ていました。正面に設置された引出式の列車種別表示器 (もともとは1933年国電区間中央線急行運転由来)、側面腰板に設置された列車種別サボもいずれも備えていました。典型的な身延線原形クハ47といえるでしょう。ただ、本車が005, 6と区別されるのはデフロスターがなかったことです。身延線は山岳地帯を走りますが、路線自体の最大標高はそれほど高くなく、しかも飯田線に比べても路線全体が比較的南に位置しますので、必ずしもデフロスターが必須ではなかったようです。なお原形クハ47の中では003もデフロスターがありませんでした。
本車の車歴です。
日本車輌製造 1936.5.9 使用開始 東チタ → (1951頃) 静フシ → 1957.6.22 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.6.20 廃車 (静ヌマ)
本車は日本車輛で1935年度に製造され、横須賀線に配備されました。当初クハ47は付属編成用だったようで、全車偶数向き、おそらく先頭に出ることはほとんどなかったものと思われます。更新修繕Iの記録が手持ち資料にはありませんが、おそらく1950年に大宮工場で受けている可能性が高いと思います。
なお、2-4位側の写真が撮れていませんが、他の方の写真によると客用扉の形状は1-3位側と同様だったようです。室内も他の原形クハ47と同様ニス塗りです。
モハ32の都落ちに伴い比較的早い時期に富士電車区にやってきて、そのまま身延線で旧形国電終焉まで活躍しました。1956年に運転が始まった身延線快速用のサボ受けと、前面の引出式列車種別表示器があることから、1950~60年代前半においては、東海道ローカルよりは主に身延線中心に使われたものと推測されます。経歴も横須賀線→身延線とシンプルでした。
なお、本車は身延線旧形国電終焉の際は、6.12にいち早く運用を離脱し、他の原形クハ47に先駆けて最初に廃車になってしまいました。
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