省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

デフロスターのなかった原形クハ47 身延線 クハ47007 (蔵出し画像)

  本車は原型のクハ47の1輌で、クハ47005~7の3輌は外見が非常に似ていました。正面に設置された引出式の列車種別表示器 (もともとは1933年国電区間中央線急行運転由来)、側面腰板に設置された列車種別サボもいずれも備えていました。典型的な身延線原形クハ47といえるでしょう。ただ、本車が005, 6と区別されるのはデフロスターがなかったことです。身延線は山岳地帯を走りますが、路線自体の最大標高はそれほど高くなく、しかも飯田線に比べても路線全体が比較的南に位置しますので、必ずしもデフロスターが必須ではなかったようです。なお原形クハ47の中では003もデフロスターがありませんでした。

f:id:yasuo_ssi:20220210100144j:plain

クハ47007 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220210100217j:plain

クハ47007 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

本車の車歴です。

日本車輌製造 1936.5.9 使用開始 東チタ → (1951頃) 静フシ → 1957.6.22 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.6.20 廃車 (静ヌマ)

 本車は日本車輛で1935年度に製造され、横須賀線に配備されました。当初クハ47は付属編成用だったようで、全車偶数向き、おそらく先頭に出ることはほとんどなかったものと思われます。更新修繕Iの記録が手持ち資料にはありませんが、おそらく1950年に大宮工場で受けている可能性が高いと思います。

 なお、2-4位側の写真が撮れていませんが、他の方の写真によると客用扉の形状は1-3位側と同様だったようです。室内も他の原形クハ47と同様ニス塗りです。

 モハ32の都落ちに伴い比較的早い時期に富士電車区にやってきて、そのまま身延線で旧形国電終焉まで活躍しました。1956年に運転が始まった身延線快速用のサボ受けと、前面の引出式列車種別表示器があることから、1950~60年代前半においては、東海道ローカルよりは主に身延線中心に使われたものと推測されます。経歴も横須賀線身延線とシンプルでした。

 なお、本車は身延線旧形国電終焉の際は、6.12にいち早く運用を離脱し、他の原形クハ47に先駆けて最初に廃車になってしまいました。

 

-------------------------

yasuo-ssi.hatenablog.com