転轍器

古き良き時代の鉄道情景

D51 九州初上陸の3輛

 昭和11年から20年にかけて1115輛もの多きが製造されたD51は、1~85、91~100までの95輛は“なめくじ”と呼ばれた半流線形で登場している。昭和11年に落成した最初の23輛の内の3輛ー8・9・10ーは海を渡って九州に初上陸した、その後の展開に先鞭をつける、記念すべきナンバーであった。

 D518 昭和11年3月川崎車輛新製 門司(大里)に配置されその後鳥栖へ移っている。昭和41年2月、C55が走る吉都線D51が入ることになり、吉松に集められたD51の中に鳥栖から来たD518が入っていた。その後昭和45年10月に厚狭に転じ、美祢線で活躍した。偶然にも南大嶺に立ち寄った際、D518〔厚〕と会うことができた。 南大嶺 S47(1972)/8/11

 D519 昭和11年3月川崎車輛新製 門司(大里)に配置されその後鳥栖へ移っている。門司と鳥栖に投入されたD51はその後数を増やして九州西側の貨物機は9600からD50、そしてD51へと置換わっていく。九州東側にD51が入って来たのは昭和23年のことで、D519は鳥栖へ移った後昭和27年1月に南延岡に渡り、以後日豊本線の顔となって昭和48年まで活躍する。おかげでD519〔延〕とはたびたび会うことができた。 鶴崎 S47(1972)/10/28

 D5110 昭和11年4月川崎車輛新製 九州最初のD51は8・9が門司(大里)、10が鳥栖と分けて配置された。D5110は鳥栖に36年間動くことなく踏みとどまり、昭和47年3月直方へ渡り、時の罐となって人気を博した。 筑前垣生 S47(1972)/8/11

 九州のD51は新製開始間もない昭和11年から始まり、鹿児島本線貨物列車の9600を置換えていった。D51の量産とともに勢力範囲は南進し、D51総数1115輛を達成した昭和20年には鹿児島・筑豊・長崎各本線と肥薩線に及び、門司・鳥栖・直方・熊本・出水・人吉が配置区に名を連ねていた。D52が登場したことで九州に捻出車が流れ、西側はD51への置換えが完了し、ここにきてやっと九州東側に残る9600置換えのD50とD51が投入されることになる。昭和23年6月にD50が門司と柳ヶ浦に、D51が大分と南延岡に配備されることとなった。輸送力の格差は致し方なく、貨物列車の形式改善は九州東側は西側から遅れること12年後であった。