今週は天候不順などにより活動が停滞したため、また毎度お馴染みの語呂合わせ記事になります(^_^;)

 

ロクヨンにはご存じのように基本番台と1000番台がありますが、小生は本音を申せば既に消滅した基本番台の方が好きなのでそちらの方を取り上げます。

 

客貨両用として誕生したカマですが、自分が撮り鉄を始めた頃は定期の客レは急行「ちくま」くらいで、撮影したのは団臨や臨時列車ばかりです。

 

今は地元エリアとなった山手貨物線を沼津の12系改造のお座敷客車に14系座席車を増結して、9両というブルトレ並みの長編成を牽引して走ったことがあります。国鉄時代は東海道を上って来る列車は武蔵野線を使わず、品川でカマ交換して中央線に向かうのが通例でした。

 

ロクヨンが牽くお召し列車も数回ありましたが、当時は働いていたのでそう都合良く休みが取れず、大崎で回送列車の出発を撮ったのが唯一の記録です。

 

JRになるとロクヨンは旅客会社と貨物会社に振り分けられました。これは「スーパーエクスプレスレンボー」を牽いて恵比寿を行くシーンですが、当時駅の東側は貨物駅になっていて、後方のサッポロビール工場の跡地にできたガーデンプレイスに続く回廊がある現在からは信じられないような長閑な風景です。

 

中央東線にはよく貨レを撮りに出撃しましたが、同業者と出会うことは稀でした。

 

中央線の貨物はタキとコンテナですが、一度だけWロクヨンがトキを牽いているのを全くの偶然で撮ったことがあります。その後は二度と見掛けないので臨貨だったのでしょうか?

 

GWやお盆の時期には臨時の急行「アルブス」が客レで運転されましたが、下りだけの営業運転で返しは回送でした。ところがフアンサービスだったのか回送にもヘッドマークが着いたことがあります。

 

JR東海には2号機が配属されましたが、西日本の岡山に配属されたトップナンバーはほとんど稼働しないまま早々と廃車になったのでこちらが実質的なトップになりました。

 

東で最後まで残ったザンナナは昨年ついに秋田に送られてしまいました。まだ解体されていないようですが、長い間本州の山岳路線で頑張ってきた山男ロクヨンを一両くらいはきちんと保存して貰いたいと思います。