晩秋の東北道ミニ・トリップ~「マロニエ東京」号と「マロニエ新宿」号、そして佐野ラーメン~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
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平成28年11月の休日の朝、僕は、晩秋とは思えないほどの鮮烈な日差しが真上から照りつけている東京駅八重洲南口バスターミナルにいた。

朝寝坊したので、既に時計の針は午前10時を大きく回っている。



名古屋行きのダブルデッカー「新東名スーパーライナー」号や、那珂IC経由原子力機構前行きの常磐高速バス、いわき行きの「いわき」号などが、乗車扱いをしたり、入線を待って待機するなど、いつもながら心躍らされる光景である。


遠くに行きたいな、と旅心がそそられる。

けれども、これから乗車するバスは、東京駅を発着する路線の中で、最も運行距離が短い部類に入るのではないだろうか。



僕が待っているのは、10時40分発の佐野新都市バスターミナル行き「マロニエ東京」3号であった。


終点まで約1時間半あまりという手軽なバス旅で、1日12往復もあるので、1時間に1本は運行されているのかと思いきや、下り便は、始発の8時40分発の1号から16時40分発の9号まで2時間おき、以後は最終22時40分発の23号まで20~60分ごとという密な運行間隔である。

上り便は、始発の5時25分発の2号から10時55分発の12号までの間隔が短く、その後は最終19時25分発の24号まで1~2時間おきになり、佐野の人々が東京を日帰りで往復するのに配慮したダイヤである。



佐野市には東武鉄道佐野線とJR両毛線が通じているが、前者は朝の上り1本と夕の下り1本の特急「りょうもう」だけで、後者には東京への直通列車が運転されていない。


現在では、高速バスが同市と東京を結ぶ主力となっており、東京駅を発着する「マロニエ東京」号と、バスタ新宿発着の「マロニエ新宿」号を合わせれば、1日30往復を越える運行本数を誇っている。

発車の5分前に乗り場に横づけされた「マロニエ東京」3号の乗降口に並んだ乗客数は多く、人気路線であることが窺える。



定刻に東京駅八重洲南口を後にしたバスが、外堀通りをすいすいと北へ走り出したので、僕は、思わず身を乗り出した。

佐野新都市バスターミナルは東北自動車道の佐野藤岡ICが最寄りだから、東京駅から東北道方面に向かう従来の高速バスの例に倣って、八重洲通りを東に向かい、宝町ランプから首都高速都心環状線に入り、6号向島線に進むものと思い込んでいた。


ところが、「マロニエ東京」号は、秋葉原と御茶ノ水の街並みをすり抜けて、気づいたら国道17号線・中山道に入り込んでいて、車窓を東京大学の赤門が過ぎ去って行く。


いったい何処を通るつもりなのか?──と、俄然興味が湧いて来た。


座席を8割がた埋めた乗客は、何処を走ろうが時間通りに佐野に着いてくれればいい、と言わんばかりの平然とした表情で、キョロキョロと落ち着かないのは、僕くらいではなかったか。



国道17号線は、本駒込と白山の商店街を抜けるまで、密集した街並みに囲まれた片側1車線の道路であるが、千石駅前の交差点で白山通りに合流すると、途端に視界が広くなる。


「マロニエ東京」号は、巣鴨のとげぬき地蔵と地蔵通り商店街の賑わいを横目に見ながら、西巣鴨の交差点で明治通りへ右折した。

明治通りは白山通りに比べれば道幅が狭いが、車の量は多い。

加えて、首都高速中央環状王子線の高架が頭上に跨がり、視界が塞がれるので、何かと鬱陶しい。

両側に防音壁がそそり立つ首都高速が、飛鳥山をくぐるために地下に潜っていくと、明治通りも飛鳥山公園に突き当たり、道路の中央に合流して来た都電荒川線の軌道と一緒に、緩やかな右カーブを下って行く。


路面電車と出会わないかな、と眼を凝らしていたが、すれ違うのは車ばかりだった。

明治通りで飛鳥山を巻くように昇り降りする区間は、神田川に面する台地を登る面影橋から池袋駅前にかけての区間とともに、僕が最も好きな道路風景であり、そちらにも都電が並走していたことを思い出す。



王子駅前に差し掛かると、バスはひしめく車の波から逃れるように、北本通りに左折した。

続く王子三丁目交差点で、鋭角に都道306号線に右折すると、すぐに首都高速の王子北ランプが現れた。

王子北ランプの出入路が都道306号線だけに繋がっているので、地図を見れば王子駅の北で三角形を描いて遠回りした形であるが、乗っているだけならば、忙しく交差点を曲がるものなのだな、としか思わない。


ランプを降りて来た上り便とすれ違ったが、東京行きの「マロニエ東京」号だったのか、新宿行きの「マロニエ新宿」号なのかは判然としない。



高速道路に乗るまで、随分と回りくどい経路を使ったものだと思うが、上り便と邂逅したのだから、臨時の迂回などではなく、ここまで正規の経路をたどって来たのだろう。

明治通りに入ってからの経路は、新宿を発着する他の東北道方面の高速バスと共通であるから、僕には馴染みだったが、東京駅を出入りする「マロニエ東京」号が王子を経由するとは、予想もしていなかった。


「マロニエ東京」号の経路は、東京駅から佐野新都市バスターミナルまで約83kmである。

宝町ランプから首都高速都心環状線、6号向島線、中央環状線を経て東北道に至るルートを使えば、およそ87kmであるから、少しばかり距離が短いものの、王子経由は一般道の区間が圧倒的に長く、東京駅を出て王子北ランプに入るまで、50分近くを要した。

「マロニエ東京」号の都内の経路は、近道の一般道を選ぶのか、遠回りでも首都高速か、という非常に興味深い問題提起をしているのだが、下り便はともかく、上り便は、首都高速6号向島線の慢性的な渋滞を避けたのかもしれない。

バス事業者が検討を重ねて決定したのだから、僕のような素人が口をはさむべきものではなく、面白い道筋を体験させていただきました、と思う。


ちなみに、バスタ新宿から明治通りを北上して王子経由で佐野に至る経路は約81kmであるが、所要時間は「マロニエ東京」号も「マロニエ新宿」号も同じになっている。



飛鳥山トンネルを出たばかりの首都高速中央環状王子線に合流し、ようやくバスの速度が上がると、何となく肩の力が抜けたような気分になった。

運行距離の短い高速バス路線では、前半の都市部が車窓のヤマ場になるのは、しばしば経験することである。


荒川を渡った先の江北JCTで首都高速川口線に入れば、中小工場がひしめく高架区間は、背の高い防音壁が視界を塞いでしまう。



川口JCTで外環自動車道と交差して東北道に入り、堀割の間をしばらく走ると、不意に、真っ青な空を背景に、見渡す限りの平地が開けた。

刈り入れを終えて土色が目立つ田畑と、色褪せた草地ばかりであるが、点在する雑木林の緑は意外と濃い。

遠くに霞んでいるのは、東北との境を成す山々だろうか。

何よりも、久しぶりに空を見上げたような気がした。


広大な関東平野を貫くバス旅の始まりである、と言いたいところだが、川口JCTから佐野藤岡ICまで僅か55km、「マロニエ東京」号は30分程度で走り抜けてしまう。

たとえ30分でも爽快さに変わりはないものの、物足りない。



利根川を渡って栃木県に入ると、呆気なく佐野藤岡ICだった。


瀟洒な建物が並ぶ佐野プレミアム・アウトレットの停留所で、十数人がバスを降りた。

僕は、アウトレットで売っている類いの商品に興味を持ち得ない人種なのだが、御殿場も木更津も佐野も、どうして西洋風の城郭のような外観ばかりなのだろう、と首を傾げてしまう。

英語の「outlet」とは排出口を表す単語で、「工場から直接出てきたもの」、つまり小売りを通さない直売品を意味している。

米国の流通業界では、衣料品や装飾品の流行遅れ商品や、「訳あり品」などと呼ばれる実用には問題のない欠格品を扱う店舗を指すと言われ、僕もそのように解釈していたのだが、我が国では、いつの間にか高級ブランド品を低価格で販売するショッピングモールの意味に変じている。



佐野まで来て、何をしようという算段がある訳でもなかったが、もとより買い物をするつもりはない。

高速バスに乗りたくて出掛けて来たのだから、佐野新都市バスターミナルに降り立てば、目的は達成されている。

「マロニエ東京」号が、市街地の東武線佐野市駅や両毛線佐野駅まで足を伸ばしてくれれば、佐野厄除け大師で知られる惣宗寺に参拝することも出来るのだが、佐野新都市からわざわざ出掛けていくほどの敬虔さは持ち合わせていない。



もちろん路線バスは運行されているし、佐野の人々は自家用車で気軽にバスターミナルを訪れるのだろう。

駐車場ならば、いっぱいありそうである。


通りすがりの旅人にとっては、起終点が中途半端な位置にしか思えないのだが、「マロニエ東京」号と「マロニエ新宿」号の歩みを振り返れば、納得できないこともない。

2本の系統とも、出自は別の高速バス路線だったのである。



平成13年7月に「マロニエ新宿」号が開業した時点での運行区間は、新宿と宇都宮の間で、後に東京駅も経由するようになった。

マロニエとは、栃木県の県木である栃の木を意味するフランス語である。

北は青森から西は福岡まで、東京と1本の高速バスで結ばれている県都の中では最も遅い開業だったが、僕は、宇都宮餃子を味わいがてら、喜んで乗りに出掛けた(「僕と空港リムジンバスの物語~エアポートライナーマロニエ号とマロニエ新宿号で宇都宮餃子の旅~」 )。


平成16年に佐野プレミアム・アウトレットが開店し、「マロニエ新宿」号の一部の便を停車させたところ、好評を博したことが転機となる。



平成17年10月に、佐野プレミアム・アウトレットを経由して東京駅と足利駅の間を結ぶ高速バス「足利わたらせ」号が開業し、アウトレットの買物客ばかりでなく、佐野市と東京都心を直結する両線は、市民の足として定着していく。

 一方、「マロニエ新宿」号の東京と宇都宮の間の利用は、佐野藤岡ICで高速道路を離れることで所要時間が延長したため利用者が離れ、「足利わたらせ」号も、国道50号線の渋滞で定時運行が難しくなり、平成19年に佐野止まりになって、愛称を「マロニエ東京」号に変更した。

「マロニエ新宿」号も、平成25年に佐野までの運行に短縮されて、佐野市に特化した路線として生まれ変わったのである。



佐野市の肝煎りで開設されたという佐野新都市バスターミナルに、僕が足を踏み入れたのは4度目になる。


最初は、平成17年の真夏に、佐野を起終点とする大阪行き夜行高速バス「シルクライナー」号に乗るためであった(「真夏の夜の夢の旅~群馬発北陸経由大阪行シルクライナー号と大阪発伊賀上野行忍者ライナー号~」 )。

2度目は、平成18年に「足利わたらせ」号に乗車した時だった(「新宿-日光高速バスと足利わたらせ号、特急けごん・日光の思い出~世界遺産日光と鬼怒川温泉の栄枯盛衰~」 )

3度目は、北関東自動車道を経由して高崎と宇都宮を結ぶ「北関東ライナー」号が立ち寄った平成25年である(「晩秋の北関東をめぐる~「北関東ライナー」前橋-宇都宮線と宇都宮-水戸線を乗り継いで~」 )。



10年前に初めて訪れた時は、広場に簡素なプレハブの待合室が建っているだけだったバスターミナルも、今ではすっかり整備されて見違えるようであるが、僕の関心は他にある。


せっかく訪れたのだから、何か佐野らしいものに触れたいのだが、と思案していると、バスターミナルの隣りに建つラーメン屋が視界に入った。

そうだ、佐野ラーメンだ、と勢い込んだ。



威勢のいい店員に迎えられて、さっそく塩ラーメンを注文したのだが、名前を聞いたことがあっても、僕は佐野ラーメンの定義をよく知らなかった。


料理を待つ間にスマホで調べてみると、竹の下に練った小麦粉を置いて麺を打つ「青竹打ち」が特徴で、コシが強い中太から細めの麺、コクのある醤油味のスープが代表的、と書かれている。

店内に「定番の人気メニュー」と書かれているのに釣られて、塩ラーメンを頼んだのは、早とちりであったのか。

しかも、この店は全国チェーンらしく、本当に佐野ラーメンを賞味したことになるのか、不安が込み上げて来る。

一口に佐野ラーメンと言っても、店によってスープが鶏がらであったり、豚骨であったり、醤油が少々入った塩ラーメンもあるらしく、許容範囲の大きな御当地ラーメンなのだろう、と自分に言い聞かせた。


麺はもっちりして歯応えも喉ごしも良く、スープも美味しかったので、満足すべき昼食であった。


佐野で食べたのだから、佐野ラーメンなのだ、と自分に言い聞かせながら、バスターミナルに戻れば、折よく13時55分発の「マロニエ新宿」20号の発車時刻の間際だった。



のんびりと東北道を戻り、首都高速道路の王子北ランプで高速道路を降りれば、今度は下り便とすれ違った。

やっぱり「マロニエ東京」号なのか「マロニエ新宿」号なのか、区別できないが、とにかく頻回に運行されている路線なのだな、と実感する。


こちらの「マロニエ新宿」号は、王子駅前と池袋駅前で一部の乗客を降ろしながら、ひたすら明治通りを南下していく。



十数年前に、宇都宮発の「マロニエ新宿」号に乗車した時も、この道筋をたどったことに思いが及んだ。

往路の「マロニエ東京」号も、10年前に乗った「足利わたらせ」号の末裔だったと考えれば、楽しく車中を過ごした2つの高速バスが、運行区間を短縮されてしまう運命だったとは、容赦のない時代の流れを感じる。


同じ歳月を過ごした自分の身辺を振り返れば、ふと、胸がいっぱいになった。



池袋を過ぎ、雑司ヶ谷や鬼子母神がある関口台地から神田川が刻んだ谷に下り、左側に都電の専用軌道が寄り添ってくる車窓は、飛鳥山付近にも増して、都心とは思えない潤いがある。


当時の僕は新宿に住んでいて、半年ほど駒込に自転車で通勤したことを思い出した。

通勤途上で面白かったのが、関口台地を登り下りする坂道で、比較的緩やかな明治通りを使うことが多かったが、その東にある「のぞき坂」をはじめ、都内でも有数の急坂がある裏道を通る日もあった。



「のぞき坂」は最大勾配が13度、23%にも及ぶ急坂だが、電動自転車ならば、ギアを最大に軽くすれば登れないこともなかった。


圧巻だったのは下り坂で、仕事帰りに「のぞき坂」の頂上に差し掛かると、4階建てのビルに相当する高低差15mを一直線に下りていく断崖のような傾斜を前にして、スキー場の上級者コースに立ったように目が眩んだ。

自転車のブレーキを目一杯握り締めても止まらないのではないか、はたまた前のめりに1回転して転がり落ちるかもしれない、などと怖い妄想が湧いてきたものである。



思い浮かぶのは、大阪府東大阪市と奈良県生駒市を結ぶ国道308号線の暗峠である。


府県境にある峠の大阪側は、長さ2.5kmに渡って31%、局所的には26度、48%に及ぶ急勾配を持つ酷道として知られている。

「暗」は「くらがり」と読み、その起源は、樹木が鬱蒼と生い繁って昼間も暗い道であったという説や「あまりに険しいので馬の鞍が引っくり返りそうになることから、鞍返り峠と呼ばれた」と落語の枕で語られているらしい。


いつかはレンタカーを借りて踏破してみたいものだ、という欲求を抑え切れないのは、怖くても「のぞき坂」を自転車で下りたくなる心境と同じで、冒険心の表れと考えるべきか、単に向こう見ずと言うべきなのか。

「のぞき坂」ですら、馬で下れば鞍が浮くかもしれないという感覚が実感できるので、暗峠の勾配が「のぞき坂」の1.5倍にもなることや、レンタカーを借りるにしてもどのような車種ならば越えられるのか、おいそれと実行に移せないのが現実である。



面影橋で神田川を渡って、新目白通り、早稲田通り、大久保通り、職安通り、靖国通り、新宿通り、甲州街道と平面交差していく区間は渋滞が激しく、特に靖国通りから甲州街道までの1kmは、沿道に伊勢丹をはじめとする大型店舗が多いこともあって、車の流れがひときわ滞りがちだった。

それでも、明治通りの混雑をダイヤに織り込んでいるのか、「マロニエ新宿」20号がバスタ新宿に到着したのは、定刻15時35分より1~2分遅れた程度であった。


甲州街道からバスタ新宿に左折する時に、すっかり西に傾いた日差しが、新宿駅南口の建物のガラスに反射して、車内に眩しく射し込んできた。




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