1973/03 九州SL撮影旅行
1973/03/27
機関区で一通り撮って満足して、吉都線の到着列車を狙いに移動した。
川内川にかかる鉄橋へ。
ここに鉄橋があることはわかっていたが、行ってみたら、まさかの下路式スルーガーター橋(線路が一番下側にあって、鉄橋の部分が、横にせりあがって囲んでいるタイプの橋。大淀川の鉄橋のように、線路が上の面にあって、下側に鉄橋があって支えるタイプは上路式デッキガーターという名前)。
時間がなかったのか、ズームレンズ望遠を過信したのか、変な構図になった。
(望遠の圧縮効果で、鉄橋の中に入り込んで撮っているように錯覚して見えるかもしれませんが、それなりに引いたところから撮っています。)
もっと引いて、鉄橋から飛び出してくるシーンを狙うか、鉄橋にこだわらない方がよかったか。
振り返って後追いを1枚押さえて撮っていたが、一人SLファンがいたようす(半世紀近くたった今更気づく)。
[8693] C57151 1201吉松 -鶴丸 吉都線
そのあと駅に戻ったが、次の列車まで1時間以上開いていて、何も撮っていない。
昼食でも食べていたのだろうか。何を食べていたのかわからない。今のデジタルカメラの時代なら、食べ物や付近の様子などたくさん撮っているところ。時刻も記録されるから、何を撮ったかと行動も復元はたやすいはず。
まあその分、こんな半世紀後の推理を楽しむことはないけれど。
さて、次がわからない。駅の近くで、吉都線の貨物を撮ったのか。場所はわからない。
なぜかバック運転? わざわざ、そんな運用があるとは思えない。撮りそこなって、駅での入れ替え作業を撮ったのか。
[8681?] D51606 1330吉松付近 吉都線
次の一枚は、おそらく吉松から肥薩線栗野方向の出発方向の辺りではないかと想像する。
C57の客レで出発の煙を狙うはずだったが、頭にDD51がついていた...。
当時は、SL末期で、こういうことがこのあともよくあった。
SLだけしか追っかけていなかったから、当然超がっくり。しかし、今になると、これはこれで貴重な記録となった。
(このブログは作品公開ではなく、記録保存のためなので、何が写っているかわかるものは原則として全コマアップする方針です)
このC57のナンバーは写っていないが、さっき着いたC57151は門デフなので、朝から機関庫にいたC57127だろう。
今になって、いろいろ解明できたわけだ。
※新事実(笑)発見で修正。
なんと肥薩線はこの日がSL運用の最終日。翌日からDD51に変わったらしい。
この列車は、習熟運転かなにかだったのだろうか。貴重な記録だったことが判明。
[831] C57127? DD51753 吉松1401 -栗野 肥薩線
次回も吉松