省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

元関東向けクハ55をセミクロス化した 身延線 クハ68103 (蔵出し画像)

 本車は3両いた元半流クハ55をクロスシート化してクハ68に編入した車の1両です。形態的にはさほど変わったところはありませんが、本車が特異なのは、元々関東向けクハ55だったことです。クハ55をクハ68に改造した車の大半は元々関西向けクハ55でしたが、出身が関東というのは珍しいです。

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クハ68103 (静ヌマ) 1979.5 富士駅

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クハ68103 (静ヌマ) 1981 富士電車区

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クハ68103 (静ヌマ) 1981.4 富士電車区

 

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クハ68103 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

 客用扉のガラスを破損したのか、最末期にはこのように補修した姿でした。この上の写真ではまだこのような補修の痕跡は見られません。

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クハ68103 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

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クハ68103 (静ヌマ) 1981.8 富士電車区

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クハ68103 (静ヌマ) 1981.7 身延駅

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クハ68103 (静ヌマ) 1981 富士電車区

本車の履歴です。

1941.10.25 帝国車輛製造 (クハ55091) 東モセ → 1949.8.24 大ヨト → 1950.1 座席整備 → 1950.9.27 大アカ → 1953.6.1 改番 (クハ68103) → 1959.2.10 更新修繕I 吹田工 → 1969.12.26 静ヌマ → 1981.11.17 廃車 (静ヌマ)

 本車は、堺の帝国車輛 (後東急車両に買収され、現総合車両製作所和歌山事業所) で製作されましたが、東鉄に配備されます。なお、クハ55の末番の方は川崎車輌や帝国車輛といった関西の工場で作られ東鉄に配備された車も多かったです。しかし1949年に、おそらく京浜東北線の4扉車統一化(モハ63.、クハ79の投入)で、下十条区から捻出され、なぜか生まれ故郷に近い淀川区に移ります。当時三扉車の受け入れ先は主に常磐線横浜線および総武線津田沼区でしたが、もはや必要なかったのか、それとも大阪での車両不足が深刻だったのか、そのあたりの事情はよく分かりません。さらに座席整備後京阪神緩行線に移動します。さらに、1951, 2年ごろにセミクロスシートに改造され、1953年にクハ68に編入されました。京阪神緩行線移動後は珍しく明石区を動くことはなく、19年間働き続けますが、明石区の103系の投入で身延線に移り、身延線旧形国電終焉まで走り続けました。

 運転台窓上の通風器こそ潰されていましたが、オリジナルの運転台左2段窓が維持され、また関西型通風器も残されていました。なお、客室内は、窓から垣間見えるシートの背もたれから分かるようにモスグリーンに塗潰されていました。元半流クハ55のクハ68は、クモハ60に合わせたのか、3両ともペイント塗潰しにされていたようです。

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