東急は、今年、2022年9月2日に100周年を迎えます。


昨年の大河ドラマで話題になった渋沢栄一氏がイギリス視察から帰ると、イギリスで見た田園都市を田園調布・洗足・大岡山に作ることに着手し、田園都市会社を設立しました。しかし、渋沢栄一率いる田園都市会社には鉄道に精通した人材が欠けており、東京中心部からこの田園都市エリアへのアクセス路線の建設に難航しました。そこで、渋沢栄一氏は、当時、関西で鉄道事業と沿線の宅地開発に成功していた阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)の小林一三氏に協力を求めましたが、当時は飛行機や新幹線など無い時代で、東京と大阪を往復することは大変な労力と時間を費やすことになるので、小林一三氏からは阪急の仕事に専念したいという理由から顧問に就くものの、小林一三氏の代わりとして、元鉄道省の五島慶太氏を紹介され、1922年9月2日、目黒蒲田電鉄(現:東急)が設立されました。ちなみに、目黒蒲田電鉄の最初の開業区間は現在の目黒線と東急多摩川線の目黒〜丸子(現:沼部)間でした。


今年9月2日に100周年を迎える東急は、4月10日の目黒線を皮切りに7路線各1編成が来年3月末日まで「東急100周年トレイン」と走ることになりました。また、7路線で同一の特別企画電車を運行するのは、東急としては過去最大の取り組みとのこと。なお、ラッピング電車が走るのは、東横線・目黒線・田園都市線・大井町線の4路線です。


まず、私が最初に撮影したのは、1番最初に運行開始した目黒線の「東急100周年トレイン」です。目黒線が最初の路線に選ばれたのは、やはり東急の最初の開業路線は前述の通り、旧目蒲線(現在の目黒線と東急多摩川線)だったからでしょう。目黒線の「東急100周年トレイン」には3020系の3121Fが選ばれたが、目黒線は来年3月開業予定の東急新横浜線に向けて8両編成化を進めており、3121Fも「東急100周年トレイン」として走っている期間中に8両編成化されると思われるので、前面に8両編成を表す「8CARS」のステッカーが貼っていない期間の写真は早めに撮影しておきました。ちなみに、側面はフランクミュラーのカラードリームの文字盤のようなデザインですが、昼前の多摩川で撮影したので、側面に日が当たらなかったのが残念です。



そして、次に走り出した田園都市線は、「ありがとう8500系in長津田検車区撮影会」の後に田奈で撮影しました。田園都市線は2020系の2122Fが選ばれ、2122Fの中央林間寄りは東急が100周年を迎える2022年と同じ車両番号の2022号車なのがやはり東急のこだわりでしょう。



そして、大井町線の「東急100周年トレイン」は、私が東急で1番好きな9000系です。「東急100周年トレイン」に選ばれたのは、大井町線生え抜きの9007Fです。

田園都市線で来年1月に引退する8500系を撮影した後、溝の口で撮影しました。



そして、最後に撮影したのは、「灯台下暗し」で東横線の「東急100周年トレイン」です。通勤や外出時に乗ったり、iPhoneで撮影していましたが、やはり8500系を撮影した後に自由が丘で撮影しました。東横線の「東急100周年トレイン」は5050系のトップナンバーの5151Fです。



車内は、中吊りが東急100周年ロゴと100周年を迎えることのメッセージが描かれています。



額面広告は、2つのテーマに分かれており、「TOKYU TRAIN HISTORY」という東急の創業時の車両から最新の車両までの変遷の紹介が一つです。






もう一つのテーマが「TOKYU百年絵巻」という東急の事業の歴史から将来の構想まで紹介されています。








現在、東急では、この「東急100周年トレイン」や来年1月に引退する8500系や東急新横浜線開業に向けて変化の激しい目黒線など、鉄道ファン、特に東急ファンは撮影したい電車がたくさんあって嬉しい悲鳴をあげるほど、忙しいのではないでしょうか?