竹中を出発した大分行貨物列車は 竹中トンネルと河原内川鉄橋を通過 竹中中学校を左下にみたら25‰勾配区間に差し掛かかる 猛然と力行するC58112が眼前に迫ってきた その迫力に圧倒されながらぐっとガマン 目一杯引きつけて1回だけシャッターを切った 

C58112は1966年大分国体お召列車運転にあたり C58115とともに予備機に指定されて本務機同様の完璧な整備を受けている それから2年半が経過 白く光る握り棒や連結器解放テコにその面影がまだ残っていた ※取り消し線追加 2022年5月26日訂正しました 
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1969年4月 豊肥本線 竹中 C58112 貨793レ 


大分運転所扇形庫へ入庫のためターンテーブルへ向かうC58112 K9タイプ門鉄デフを装着 四角が基調のタイプと異なり鋭角に尖った形状 あまりにもカッコよすぎ 大好きだった C58112を見るたびに惚れ惚れした  

大分運転所名物? 年配の操車掛の「おじさん」 いつ見ても走り回っていた 「おじさん」から大声で叱られた思い出がある それも何回も、、、 

当時の鉄道現場では傷害事故の発生は日常茶飯事 プロでも事故る! まして年少の機関車ファンが触車はもとより 転んでケガなどしないよう 率直な苦言で注意してくれていたのだ 50年以上すぎた今 それがやっとわかるG鉄である このあと退職されたのか 1970年以降に訪れたときはもう見かけなかった あらためて「おじさん」に感謝する それにしても何回もボロクソに叱られた、、、 
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1969年9月 日豊本線 大分運転所 C58112 


C58112が牽引する潮干狩り客を満載した団臨が滝尾へ到着する 大分からどこへ向かうのだろうか 杵築奈多海岸 それとも坂ノ市日吉原? 近代化改造の青いオハ級客車6両編成 後尾が切れたのはご愛敬 C58112は1971年4月に小倉工場で最後の全検を施工 出場したばかりだった 車体全体が黒光りしている
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1971年5月 豊肥本線 滝尾 C58112 下り潮干狩り団臨 


ネコパブリッシング刊 DVD機関車表より 
C58112 汽車製造大阪工場=1670 1939-02-16 S58.70t1C1T(1067) 車歴;1939-02-16製造→納入;国鉄;C58112→配属[達103];門司局→1939-02-28竣工→ 配置;鹿児島→名古屋局→1940-10-31現在;稲沢→ 1941-02-07借入;名古屋局発門司局へ→1941-03-13転属;名古屋局発広島局へ→ 1941-07-31現在;鹿児島→1942-01-31現在;豊後森→1944-01-31現在;多治見→ 1782 1945-08-00現在;豊後森→1947-03-01現在;豊後森→大分→ 1954-09-14借入;大分発宮地区へ→1954-09-18返却→1955-03-01現在;大分→ 1962-02-10小倉工場にてK-9型切取式除煙板装備→1972-06-17志布志→ 1971-04-23全検→1974-12-14休車→ 1975-02-17(3/31?)廃車[工車1382];志布志→ 1975-03-05貸与[工車1472]保存;鹿児島県「志布志町運動公園」;C58112


C58112太平洋戦争開戦直前の1941年 豊後森機関区へ配属 久大本線客貨列車牽引にあたった 1950年大分機関区へ移動 1972年まで大分の地で履歴を刻んだ 

1958年4月16日 C58112にもっとも華やかな時間が訪れた 大分県に於いて全国植樹祭が開催された その後昭和天皇皇后は熊本県を行幸 C58112は豊肥本線赤水熊本間に運転されたお召列車を単独で牽引 阿蘇路に栄光の足跡を残している 

1966年大分国体お召列車運転の際は予備機に指定 2回目の牽引は果たせなかった 1962年にK9タイプの門鉄デフを装着している 叶わぬ夢だが K10タイプ装着のC58105と重連でお召列車牽引する姿を想像するだけでワクワクする   

大分エリアへのDE10投入により1972年6月に失職 しかしC58112の全検施工は1971年 履歴を閉じることなく C58277とともに最後の任務を志布志線に求めて転出 1975年志布志線無煙化直前まで稼働して廃車された しかし解体されることなく 旧志布志機関区跡に開設した志布志鉄道記念公園で屋根付き保存されて現在に至っている 僚機C58277同様に強運なC58112である 

大分運転所所属 門鉄デフを装着したC58たち G鉄がみたのはC58105 C58112 C58115 C58277 そしてC58350 合計5輌 そのなかで一番好きなC58が112号機だった