奥井みさき、旅の記録と徒然日記

仕事の合間に旅行、旅行の合間に仕事。
フリーライター・奥井みさきの旅日記と、日々思うこと。
札幌からです。

伊達紋別駅

2022-05-24 05:57:42 | 北海道の“鉄旅”日記
 
 
伊達市は仙台藩の亘理伊達氏が開拓した街です。
北海道は仙台藩の関係者が開拓した街が多いな。

駅は1925年、長輪東線(現・室蘭本線)の開通によって開業しました。

1940年に胆振縦貫鉄道(廃止された胆振線)が開業し分岐駅となりましたが、
胆振線は1986年に胆振線が廃止になり再び単独駅となり現在に至ります。

ところで「伊達紋別」の「伊達」はともかく「紋別」ですが、
これは伊達村が成立する以前の地名であった“紋鼈村”に由来します。

駅舎は開業当初のものを手直しして使っています。
ということはあと3年で100周年になるというのに、その古さを全く感じない佇まいです。

駅構造は2面3線、普通は駅舎に近い方から1番線となりますがこの駅は駅舎側が3番線となっています。

普通は駅長室に近いホームから順に1番線からとなるのですが、この駅は逆です。
同様の例は小樽駅にもあり駅舎側から5番線、一番遠いホームが1番線となっています。

また駅舎前の3番線の長万部方にフェンスに囲まれた切り欠きの空間があります。
 
 
 
 
これは旧0番乗り場の跡で、ここからは廃止された胆振線が発着していました。

そしてかつては北海道糖業(北糖)道南製糖所への専用線が伸びていました。
これについては過去のブログに書いていますのでご覧ください。
     → https://blog.goo.ne.jp/okui-m/e/f327312febb3e1e0b6e614fd4ae9babf

今はただの途中駅ですが、いろいろな歴史を経てきた駅なのですね。
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