以前掲載した内容の再投稿です

ご了承ください

 

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アーカイブ編 1999年撮影の蒲原鉄道の記録です

この時すでに廃線が遡上に上がっていましたが、この年実施の地域振興券の対応のため

廃線が延期されたという、今ではよくわからない理由で存続していました

そしてほぼ終日、単行のモハが行き来する路線でしたが朝の一本だけ、クハ10を連結した

通学列車が運行されていました

このクハ10、出自が国鉄キハ41500で流転の末、この蒲原鉄道でクハとして増結されていました

その朝の一往復を撮影するため、ほぼ夜中に自宅を出発し高速を飛ばしていました

確か村松が7時半ごろ出発、返しの五泉発が8時少し前

大勢の高校生の通学の足となって活躍している姿を抑えるため、現地へこの日向かいました

この当時、瀕死状態の蒲原鉄道ですがそれなりの輸送人員はあり、主に割引率の高い通学定期の

乗客が主流でしたが、なぜ持ちこたえられなかったか残念で仕方ありません

一説には電力関係や車両の老朽化が原因とされていますが

ならば、当時路線廃止でその後ミャンマーに輸出された名鉄キハ30系や当時の富士重工製のレールバスが

かなりの数で出回っていたので、それらを購入する戦略もあったはず、メンテナンスでいえば

自社でバス車両の整備を行っていたのですから、そのスキルでレールバス車両程度であれば

難なく対応したと思うのですが、やはり当時の経営者が鉄道事業に対して

先行きがないと割り切っていたのでしょう

しかし、現在2020年の蒲原鉄道という企業を見る限り、その存在が希薄に感じてしまいます

やはり鉄道事業を捨ててしまったことが、企業の価値を自ら放棄してしまったのではないかと・・・

 

閑話休題、

さてその日早朝に村松駅に到着、本命の通学列車の前に単行列車の撮影を

行っていたようです

やってきたのはモハ31、2ドアーが特徴でした

 

 

車内が男子学生の白いワイシャツで満席なのがよくわかります

この後は駅構内でのスナップです

 

撮影日1999年6月10日 蒲原鉄道

モハ31 村松駅にて