前回は国鉄時代の急行「妙高」をまとめた。

今回はJR時代の「妙高」を振り返ってみたい。

 

 

 


まず、JR1年目の1987年11月号。
急行「妙高」は上野-長野間の夜行列車に変わりはないが、グリーン車のマークが加わった。これは同区間の特急「あさま」と同じ車両を使用しているためである。編成表を見ても両者ともに9両編成で、グリーン車の位置も4号車となっている。以後、「あさま」と「妙高」は種別の違いはあっても車両の運用は共通化される体制が続く。
「妙高」は季節や曜日によって長野から妙高高原まで延長運転された。また、臨時の「妙高」81号・「戸狩スキー」号も運転されている。80年代後半から90年代前半は空前のスキーブームで、JRは多彩なスキー列車を運転していた。

 

 

 

 


次は1996年3月号。
この時期の「妙高」は臨時列車で、運転日数も極めて限られていた。「妙高」の長い歴史の中で最も存在感が希薄だった時期である。
上野発の時刻を見ると、以前「妙高」が運転されていた時間帯に金沢行きの急行「能登」が運転されている。21時台に上野を発車していた「能登」が「妙高」の時間帯に繰り下げられ、両者が統合されたといえる。
そして翌1997年10月、長野新幹線が開業すると、長野-直江津間の快速ないし普通列車として復活した。
残念ながら長野新幹線開業時の時刻表は処分してしまい、その後2002年までの時刻表も処分してしまった。なぜ捨てたのか覚えていないが、今になって後悔している。

 

 

 

 


 次は2002年6月号である。
この時期は3往復で「信越リレー妙高」と名乗っていた。「信越リレー」という表記も、いつ始まりいつ終わったか正確なことはわからない。この記事をお読みの方で私より詳しいことを知っている人がいるかもしれない。
もっとも愛称に少々の違いはあっても、189系6両編成で一部指定席の普通ないし快速という列車の役割は変わらない。

 

 

 

 


次は2004年10月号。
「信越リレー」の表記は消え、単に「妙高」となっている。この頃の「妙高」は5往復で、号数も10号まで数えるほど本数の多い時期であった。この体制が2012年頃まで続く。

 

 

 

 


「妙高」のヘッドマーク。格落ちしたものの使用車両が189系になったおかげで、国鉄時代の「妙高」にはなかった絵入りマークがお目見えした。ただ、細かいことを言うと「妙高号」という表記より、「妙高」と2文字にした方が良かったかなと思う。

 

 

 

 


最後に2014年3月号。
北陸新幹線開業1年前の時刻。「妙高」は3往復に減っている。これは利用者の減少によるのか、それとも189系の老朽化により減らさざるを得なかったのか定かではない。いずれにせよ、特急「あさま」が廃止後、17年経過してもなお、特急時代の姿で走っていたのは奇跡のようでもあった。


2回にわたり、信越線の「妙高」を振り返ってみた。
「妙高」は特急の陰に隠れた地味な存在であったが、現在の北陸新幹線の「はくたか」や「あさま」より歴史は古く、信越線の伝統的な列車名であったことは記憶にとどめておきたい。

 

 

 

 


晩年の「妙高」。直江津駅にて。2014年12月撮影。