当時(1982年夏季用)の『青春18のびのびきっぷ』は1日有効の券4枚と二日間有効の券が1枚綴られていて、僕は残った1日券を消化しようと、夏休みの終わりに日立電鉄を訪れた。

8月25日(水)早朝05:55上野発の常磐線普通列車に乗って約3時間、08:53に日立電鉄との接続駅である大甕に着いた。

さっそく09:01発の日立電鉄で常北太田までロケハンを兼ねて乗車。09:24に常北太田に着き、折り返しまでの短時間で構内に停まっているモハ9•モハ10•モハ13を撮影した。

↓常北太田で憩うモハ9(上)、モハ10(左下)、モハ13(右下)

そしてロケハンで気になった小沢で下車し、里川橋梁まで歩いた。長閑な田園の広がるなか夏雲の下を行く日立電鉄の単行電車がとても好ましく思えた。

↓里川橋梁を渡る電車

里山の雰囲気を気に入った僕は、沿線を歩きながら撮影を楽しもうと思った。小沢から常陸岡田•川中子を経て大橋まで線路につかず離れず、列車がやって来る頃合いになると待機して撮影するということを繰り返した。大橋まで距離にして約5kmをゆっくりと歩いた。蒸し暑かったという記憶もなく、なんとも心豊かなカメラハイクであった。

↑↓カメラハイクで捉えた電車達

大橋駅に掲げてある時刻表を見ると地方ローカル私鉄にしてはかなりの本数が運転されていて、1時間に2〜3本、最低でも1時間に1本は運転されているようだった。僕は大橋発13:50の列車に乗り、今度は常北太田と反対側の終点鮎川に行ってみた。

沿線は日立の市街地になっていて日立製作所関係と思しき工場が沢山あり、あまり写真になりそうなところはないと感じた。そのため、鮎川に着くとそそくさと留置車両を撮影し、乗ってきた電車でそのまま折り返し、15時過ぎに大甕に戻ってきた。

↓鮎川駅で折り返しを待つモハ13形(右)と留置中のモハ1000形(左上)、クハ2500形(左下)

大甕は側線が木々の生い茂る奥まで延びていて、そこには多くの車両が留置されていた。僕はそれらの車両たちを1両1両モノクロとリバーサルカラーで丁寧に撮影していった。

日立電鉄は日中の閑散時は単行、朝夕のラッシュ時には2〜4両の固定編成が運用に就いていたようだ。

当時のメモには固定編成のリストが次のように記されていた。

  モハ1007ークハ2503

  モハ1301ークハ5301

  クハ109ークモハ110

  モハ1001ーモハ1002ークハ2501

  モハ1009ークハ2504ーモハ1008

  モハ1005ーサハ1501ーサハ2801ーモハ1004

メモにはまた「大甕発1610太田行より固定編成列車となる」と書かれていた。そうだとすると、日立電鉄ではラッシュ時と閑散時とで車両を入れ替えるという運用をしていたわけで、朝夕のラッシュ時にも撮影すべきであった。今となっては後の祭りである。

↓大甕駅構内に集う車両たち。左上から時計回りにモハ1008、モハ1006、モハ12、クモハ110(元静岡鉄道)

僕はというと、ここで1時間ほど撮影し、16:07の常磐線で上野に向かったのであった。

日立電鉄はその後営団地下鉄銀座線を走っていた2000形の車体に日比谷線用の3000系の台車を履かせた車両を投入するなどした。しかし、橋梁などの設備更新費用を捻出することができず、2005年3月限りで廃止された。