東北本線全駅間歩き7(安積永盛-福島) その4・郡山は溜め池の街? | 駅から駅まで・旅のあしあと

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今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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その3からの続き

 

-(郡山-日和田間歩行中)-

 

 

開成山公園から東へ進んで、郡山駅に立ち寄りました。

 

大通りに突き当たったところで、ひとつ西の通りへ。

 

 

 

さらに北へ進んで、逢瀬川を渡りました。

右に見える高架は東北新幹線。

 

 

 

川を渡って少し進むと、磐越西線をアンダークロス。

 

磐越西線は5年前に歩きましたね。

やっと繋がった。

 

 

 

この道は陸羽街道(奥州街道)でもあるため、

沿道には古い民家も残っていました。

 

 

 

このあたりは、1965年まで富久山(ふくやま)町という町だったそうです。

 

先ほど渡った逢瀬川が町境だったそうなので、

郡山の中心市街地も徒歩圏内だったようですね。

完全に郡山市街地に飲み込まれているのは、当時も変わらなかったのかな?

 

 

 

そのまま北へ進んで、小学校の横を通過。

 

 

 

富久山町役場跡に建てられた行政センター付近。

ここの桜は満開近い咲き具合。

 

 

 

行政センターの少し先で左折して、陸羽街道から外れました。

 

 

 

その先にあったのは「下ノ池」。

 

ご覧の通りの溜め池ですが、

そのほとりにはハザードマップが掲載されていました。

東日本大震災では福島県内で多数の溜め池が決壊し、

それに伴う濁流で死者も出たそうです。

 

お世辞にもあまり大きな池ではないですが、

地図を見ると、想定被害やその範囲が思った以上に広くて驚かされました。

 

 

 

下ノ池からそのまま北へ進みました。

ちょっとわかりにくいですが、写真の左端中程に溜め池があります。

 

 

振り返れば、今日は朝からたくさん溜め池を見かけました。

先ほど訪れた五百淵公園や開成山公園の池も元々は溜め池でした。

1883年に安積疎水による灌漑が始まり、劇的な変化を遂げたそうですが、

それまでは点在する溜め池が水を確保する手段だったそうです。

 

役割を終えた溜め池は徐々に埋め立てられていますが、

今も郡山周辺には多数の溜め池が残されています。

 

 

 

その先にあった宝沢沼もそんな溜め池のひとつ。

先ほどの下ノ池よりも大きな溜め池ですが、江戸時代初期に普請されたそうです。

 

奥にそびえる山は安達太良山…のはず。

 

 

 

溜め池の築堤を北へ。

右側には集落が広がっていますが、溜め池の水位よりも低そう。

確かに、この位置関係だと決壊が怖いかも。

 

 

 

陸羽街道に戻る道は桜並木でしたが、

こちらはまだ咲き始めでした。

 

 

 

陸羽街道に戻って、さらに北へ進むと小さな高まりを越えました。

 

この先でいったん陸羽街道を左折して、

住宅地に入ってみようと思っていました。

 

 

 

そろそろ左折と思ったところにそれっぽい道があったので左折。

道は西へ進んでいましたが、線路も西へ向かうのだろうと思って気にしませんでした。

 

 

…ところが、

 

 

3~4分ほど進んだところで、

道が南方向へカーブしているのが見えました。

南へ進むのはさすがにおかしいと思い、GPSの地図で確かめると…

 

 

一つ手前の角を曲がってしまった!!

 

 

久しぶりに派手な道間違いをやってしまいました。

 

 

その5へ続く

 

 

郡山駅手前から宝沢沼手前までのGPSログ(1/32,000)です。