旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【4】

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 《前回のつづきから》

 

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 50系は1978年に登場すると、さっそくローカル線で旧型客車で運転されていた列車に充てられていきました。次第にその勢力を全国へと伸ばしていき、東北から九州まで進出していきます。また極寒地仕様で設計された50系51形も北海道に投入されました。しかし動力近代化計画の推進により、多くのローカル線では気動車が充てられることが原則でしたが、それでも残存する旧型客車の近代化で、利用者には歓迎されたことでしょう。

 手で開け閉めしなければならない扉が自動化し、走行中は勝手に開くことができないという点でも、小さな子ども連れの利用者にとっては安心だったかもしれません。また、扉の幅が1000mmに広がったことは、乗降するときがスムーズになったおかげで、列車の遅延も減ったことは、通勤通学で利用する人たちにとって歓迎すべきことだったのです。

 しかし一方で、機関車+客車という列車の運転形態は、電車や気動車と比べて効率が悪く、運用コストのかかるものでした。電車や気動車であれば、終着駅で運転士が乗務する運転台を変えるだけで折り返しができますが、客車の場合は機関車を列車の先頭へ付け替える「機回し」という作業が伴います。そのために、駅には機回しをするための線路配置にしなければならず、保線などのコストが伴います。また、機回し作業を行うためには、操車掛による操車誘導と解結作業が必須となり、そのための職員を配置しなければならず、人件費も必要になってしまうのです。

 火の車の財政事情を抱えた国鉄にとって、これだけのコストが嵩む旧来からの機関車牽引の列車を運転するのは好ましくなく、費用対効果の観点からもこうしたコストの削減は避けては通れないものでした。

 加えて、東北・上越新幹線の開業は、首都圏と東北・上越方面を結んでいた在来線の優等列車の削減を実現させました。その影響で優等列車に使われていた多くの特急形・急行形車両が余剰となるとともに、減量ダイヤの実施によって優等列車の短編成化が行われ、さらに余剰車を発生させました。

 奇しくも動力近代化の旗手であったこれら多くの車両たちは、新幹線の開業と減量ダイヤの実施によって余剰化してしまったことで、客車による普通列車の近代化のために登場した50系を駆逐する主役になったのです。

 

亜幹線などにおいて、ローカル列車の輸送サービスの改善と客車列車の安全性向上をねらって開発製造された50系も、機関車牽引という伝統的な方法による列車の運行手法は、終着駅などで機回し作業が必須であることなど、運転取扱の合理化を妨げるようになっていった。対して、新幹線網の発達によって特急列車の統廃合が進み、余剰となった581・583系を近郊形電車へ改造した419・715系が進出してきたことや、気動車の増備や配転、急行列車の削減によって生じた余剰車の活用などで、亜幹線だけでなくローカル線においても電車化・気動車化が進められたことで、50系客車が活躍するばが狭められていくことになった。結果、分割民営化までに多くの50系客車は用途を失っていくことになる。(©Tennen-Gas, CC BY-SA 3.0, 出典:Wikimedia Commons)

 

 特に急行形電車と昼夜を問わずに運転できた581・583系は、客車列車を淘汰する主役となってしまいました。急行形電車は短編成化の上、地方幹線のローカル運用に転用されました。もともと幅1000mm2扉という構造は50系とほぼ同じなので、デッキよりのボックっすシートを一部撤去してロングシート化すれば、普通列車にも使えうると大量に転用されました。特に東北本線北陸本線には、これらを改造した交直流急行形電車が数多く転用され、新製から10年も満たない50系の活躍の場を奪っていったのです。

 さらに、昼行特急と寝台特急の大幅な削減で、大量に余剰となった581・583系は、不足するローカル運用の電車を補うために、寝台の使用停止措置と乗降用扉を増設するなど近郊形への改造を施し、419・715系としてこれらの線区でのローカル運用に就かせたのでした。

 そもそもが特急形寝台電車種車にしたので、車内設備は近郊形に遠く及ばず収容力も少ない、しかも乗降用扉も種車を踏襲して狭い700mm折戸にするなど、およそラッシュ時に威力を発揮するどころかダイヤ上のネックにさえなりましたが、それでも国鉄は安価に大量のローカル用電車を揃え、動力分散式のメリットを最大限に活かそうとしました。

 一方、気動車もまた急行列車の削減により、キハ58系をはじめとする急行形気動車が大量に余剰となりました。国鉄はこのキハ58系を改造することなくローカル運用に転用し、非電化路線での普通列車の動力分散化を図りました。

 こしたことによって、50系は早々に活躍の場を失い、最後に新製された車両は1982年に製造されたものの、分割民営化を翌年に控えた1986年に実施された国鉄最後のダイヤ改正では、車齢が5年程度しか経っていない車両でさえも余剰車とされてしまいました。

 最も、このダイヤ改正前から電車化・気動車化が進行していたので、運用を置き換えられた多くの50系は、駅の側線に留置されるなどして野晒しにされるなど、その運命は悲運といえるものでした。

 

《次回へつづく》

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