東京駅・銀座・ANA便 | 鉄道で行く旅

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横浜・東京の旅の最終回です。

新橋駅から山手線に乗って東京駅へ。

 

この日の東京は、雨が降り続いていました。

 

JPタワーの6階にある屋上庭園「KITTEガーデン」から見た東京駅です。

 

続いて、丸の内北口側にある井上勝(鉄道の父)の銅像を撮影しました。

東京駅の駅前広場にある井上勝の銅像です。

 

東京駅の駅舎を見つめている井上勝の銅像です。

 

銅像の台座の裏面に刻まれている銅像の建立・再建・移設の年月です。

【井上勝の銅像の歴史】

・1914年(大正3年)に、本山白雲の制作により東京駅丸の内側の駅前広場に井上勝の銅像が建立されました。(初代の銅像は戦時中の金属類回収令により撤去)
・戦後の1959年(昭和34年)に朝倉文夫の制作により井上勝の銅像が再建されました。
・その後、工事などによる移設が何度か行われた後、2017年(平成29年)12月7日の駅前広場工事完成時に、井上勝の銅像が現在地に設置されました。

 

井上勝の業績の一つである「旧逢坂山トンネル(鉄道記念物)」です。

(旧逢坂山トンネルは1921年の東海道線の路線変更により廃止されています)

宮脇俊三の「鉄道の父、井上勝のこと」からの引用(抜粋)です。

彼の業績のなかで、まず特筆したいのは大津-京都間の逢坂山トンネルを日本人だけの手で開通させたことであろう。

逢坂山トンネルの長さは665メートルだが、当時としては長大トンネルであった。

1880年(明治13年)7月、明治天皇が京都-大津間に乗車。京都まで駕籠か馬車でおいでになったが、明治天皇という人、鉄道新線の開業に熱心だったようで、私たち鉄道ファンの大先輩のような気がしてくる。

 

東京駅丸の内南口です。

 

東京駅丸の内南口の「原首相遭難現場」の目印です。この『原敬暗殺事件』は1921年(大正10年)11月4日のことでした。

この目印は、20年ぶりの撮影でした。

 

東京駅リニューアル前の「原首相遭難現場」の画像です。(2002年8月撮影)

「浜口首相遭難現場」は、今回も行き忘れてしまいました。

 

東京駅から東京メトロ丸ノ内線で銀座駅へ。

 

2022年6月10日(時の記念日)から、名称が「SEIKO HOUSE GINZA(セイコーハウスギンザ)」に変わった「旧・和光本館」です。

2022年6月10日は「時計塔90年」の記念日でもあります。

 

ちなみに、私もWAKO CARDの会員です。

 

以前に和光本館で買った、フォーマル(慶事)用のネクタイとカフリンクスです。

 

東京鳩居堂やGINZA SIX(ギンザシックス)にも立ち寄って、ウィンドウ・ショッピングを楽しみました。

ついでに、「ライカGINZA SIX」の写真展も見ました。

その後、東京駅、浜松町駅を経由して東京モノレールで羽田空港第2ターミナルへ。

 

帰りのANA便

東京から大阪への帰りは、2年3か月ぶりの空の旅でした。ANA便の羽田発大阪行・プレミアムクラスを利用しました。

ここでANAを利用しているのは、たまたま新型コロナウイルスで有効期限が延長されていたマイレージを使い切るためでした。SFC(スーパーフライヤーズカード)のアップグレードポイントの消費を含め、スカイコイン経由でプレミアム席の航空券を購入しています。

 

機材はB787-8(中距離国際線仕様の78M)で、プレミアムクラスのシートは「ANA BUSINESS CRADLE(クレードル)」のシートでした。JRグランクラスや近鉄特急「ひのとり」のようなバックシェルシートです。

 

プレミアムクラスの17時以降の便なので夕食つきでした。(夕食は撮影していません)

 

着陸態勢に入りました。

大阪の街と通天閣です。

 

大阪城です。

 

淀川大橋が見えてきました。もうすぐ大阪空港です。

(おわり)