孫文(1886〜1925年)は言うまでもなく、中国革命の父であり、中華民国初代臨時大総統であり、中国共産党もその功績を讃える文句なしの革命家である。この人の唱えた三民主義、すなわち民族主義、民権主義、民生主義を併せた三民主義は、各地で行われた講演で話したものであり、それをまとめたのがこの本である。

 

 当時西側により半植民地状態にあった中国を、いかにして独立を回復させるかという彼の考え方を伝えたものであるが、その根底には、「中国は西洋よりも2千年も前から文明的であった」という自負とも言える文明観があることを感じた。

 

 

 すなわち「中国は早くから民族主義の時代を終えて世界主義(=世界帝国を作る帝国主義)に進んでいた。つまり歴代の中国皇帝は帝国主義によって他の民族を征服していた。ただ西洋人が野蛮な手段で他国を征服したのとは違い、多くは平和的手段によって感化した、つまり王道により弱小民族を支配下に収めた(ヨーロッパは覇道により征服)。

 

 つまり中国人は2千年以上も前に平和を主張した世界で最も平和を愛する国民であり、文明も発展していたのであるから西洋よりも2千年余りも先を行っている。また西洋で今流行している新しい文化や無政府主義や共産主義の思想も中国には数千年も前からある。

 

 

 例えば道家の政治学説は無政府主義である。マルクス主義は本当の共産主義ではないが、本当の共産主義は中国では洪秀全(下)の時代(太平天国)に実行済みである。今西洋が中国の上を行っているのは政治哲学ではなく全く物質文明のゆえである。」と。

 

 それなのになぜ今民族主義なのか。孫文はその点を次のように説く。中国人は家族と宗族の団結力が非常に強いが国家のこととなるとそれがない。孫文は日本のことを「明治維新前は人口も増えない国だったが、西洋文明を取り入れて国家を発展させた。それに比べ中国が世界から軽視されているのは日本には民族主義があり中国には民族主義がないからである。日本は中国を強大にするための良い模範の1つである。」と高く評価している。

 

 

 「中国人はバラバラな砂である」と外国人から言われる通りであるが、中国には宗族というものがあり、これをもとに団結していけば民族精神を取り戻すことができると主張し、いずれにしても今中国にとって世界主義よりも民族主義が必要だと唱えている。習近平も「中華民族の復興」を唱えているが、孫文を意識しているのかもしれない。


 次は民権主義についてであるが、ここでも「中国人はバラバラな砂である」ことから興味深い文明的な見方が披露される。西洋では封建制が長く続き、農民の子は農民、職人の子は職人にしかなれなかった。つまり基本的に自由がなかったから、自由と平等を勝ち取るために皇帝と戦ってきた革命の歴史がある。

 

 

 しかし中国では皇帝以外は皆自由平等で、誰でも科挙の試験さえ受かれば士大夫、つまり高級官僚になれた。また皇帝は自分の地位さえ守れれば人民が何をしていても構わない、一定の税金さえ収めれば一切守ってはくれないが何をしても自由。中国には自由は十分あったし、西洋のような専制主義の苦しみを受けていないので、中国で自由平等をいくら唱えても人々は理解できなかった。もし中国人にそれを言うなら「発財」つまりこうすれば儲かるという話をすれば大いに歓迎されたであろうと。


 だから孫文は、中国と西洋は歴史が全く異なるとして、西洋のものをそのまま受け入れることには常に疑問を持って対応している。例えば、アメリカの連邦制度が生まれた経緯についても深く分析した上で、中国もアメリカの連邦制度のように各省が連合して国を作るべきとの意見についてこれは大間違いだと言っている。

 

 つまり「アメリカの13州は元から分裂したもので、全く統一が取れていなかったからこそ連合をせざるを得なかった。しかし中国は昔から各省があってもそれが統一された1つの中国であった。この時代にそれを言えば各地に割拠している軍人軍閥が勝手に政府を作る根拠になってしまう。」と。

 

 

 また西洋の自由民権運動については、そんなに立派なものではないとしていろいろな問題を指摘しているが、アメリカの黒人解放だけは高く評価している。それまで戦いというものは、自分や自分の仲間のために他の人たちと戦うのであるが、この南北戦争だけは黒人のために北部の白人が行った初めての戦いだと言う。

 

 欧米各国の民権の歴史についても鋭い分析をしているが、特にドイツについては、ビスマルク(下)がマルクスの主張する社会主義を政治力では消すことができないことを知っていたから、鉄道を国有化したり、労働者を保護する政策を取ったり、社会主義的な動きに先手を打って国家社会主義を実行、成功したと分析している。

 

 

 そして世界の民主主義の現時点における到達地点が「代議制」であると一応結論し、しかし「少なくとも中国での代議士はいずれも「ブタ議員」になって、ただただ金のために権益を軍人に売るなどしたので人民から全く相手にされなくなった。だから西洋の民権をそのまま真似ても絶対にうまくはいかない。」と言う。

 

 では具体的にどうしたらいいかだが、政府に対し、選挙権だけでなく、罷免権、創制権(国民が直接法令の制定を請求できる権利)、複決権(議会が決めた法令をあらためて国民が直接賛否を問える権利)の4つの民権で人民が政治を適切に管理することができると主張している。けんじいは代議制に安住することのない革命家らしい主張に感動もした。

 

 上巻は「民権」の途中で終わっているが、いずれにしても外国のものをそのまま使ってもダメだと言うはっきりした思想が貫かれていることは十分読み取れた。今まで孫文の思想に直接触れることはなかったが、世界の政治、思想、文明、それらの歴史に通暁した大変な人物であることを知った。