しのうしのブログ

たまに外出

《十勝14》 廃校・廃線 河西鉄道② <芽室-鹿追> (3/3)

廃校 北熊牛小学校
廃駅 (河西鉄道) 北熊牛駅上美蔓駅
廃線 河西鉄道(十勝鉄道)
学校 旧々鹿追小学校
駅逓 クテクウシ駅逓

《十勝14-3》 廃校・廃線西鉄道② <熊牛-鹿追>

●(河西鉄道)北熊牛駅(清水町熊牛西3線)


1925年開設、1951年廃止の駅です。熊牛第一中学校から西へ約0.5㎞。国道274号線の南側。豚丼で知られる、ドライブインいとう の東のこのあたりでしょうか。左の建物は中熊牛第一会館(←第と館の字が違いますが)とあります。

北熊牛小学校(清水町熊牛22号)


道道75号線を北へ向かいます。西2線と3線の間、22号の北側。校門の奥に校舎があります。


グランドの東側に閉校の碑があります。入口は「きたくま文化蔵」となっています。文化芸術作品等の保存、展示及び創作活動を支援するための施設になったようです。1910年第二熊牛教育所として開校、1914年に熊牛第二尋常小学校、1941年北熊牛国民学校になりました。2004年に清水小学校と統合になりました。

しみず温泉フロイデ(清水町熊牛)


北熊牛小学校から東へ約700m、坂を登り進みます。何度か行ったことがありました。1995年開湯。2008年に休業。民間に委託されましたが、今は閉館です。
1980年に清水町文化センターが完成。こけら落としとして町民の合唱でベートーベンの第九を演奏しました。以後も演奏されており、清水町は第九の町となっています。Freudeはその歌詞にあります。風呂にもかかっていると思います。

●(河西鉄道)上美蔓駅(清水町美蔓西24線23号)


1925年開設、1951年廃止の駅です。フロイデ跡から美蔓台地に上がったところが美蔓21号。西24線を北へ1kmほど進みます。駅は23号付近にあったようです。ここより北では西24線の道路が少しずれています。23号から25号(道道133)の間だけ西24線の道路が東に少しずれているのは、線路跡を利用したのかもしれません。


ずれた西24線23号から南側のようす。


そのまま北へ進み、道道に出るとその北にある西24線とも道がずれています。
24線をさらに北へ行ってみました。斜めの道に突きあたりましたが、そこの少し右から更に北への細い道がありました。それが軌道跡のようです。その先に下幌内駅がありました。

西鉄道・拓殖鉄道交差鹿追町幌内24線)


上美蔓駅から北上し、道道133号の少し南。拓殖鉄道が熊牛トンネルを出て、切り通しになっていたので、河西鉄道がその上を越えていたそうです。右の縦の道は河西鉄道跡と思われる西24線。左の道に沿って見える茂みが拓殖鉄道の線路跡でしょうか。西24線の東側はただの畑です。ここの東に、拓鉄の新幌内駅がありました。

道道133号を鹿追へ向かいます。

◆旧々鹿追小学校跡鹿追町北1線)


鹿追小学校は1911年クテクウシ特別教授場として開校。1922年ここに移転したようです。クテクウシ駅逓跡から600mほど北になります。1954年に旧校舎に移転するまでありました。右の建物のあたりが校舎で、左の畑になっているところがグランドだったようです。

バッタ塚の碑鹿追町美蔓西20線)


駅逓跡から、然別川の旧紅葉橋渡った下鹿追神社にあります。架けかえでしょうか、この橋は渡れませんでした。説明板によると、1980年にバッタが大量発生し、駆除したことによるそうです。蝗害というと明治の開拓期の印象が強いのですが、ここは昭和になってからなので、比較的新しいです。

クテクウシ駅逓鹿追町鹿追基線)


国道274号線道道133号の交差点のところです。駅逓を模した建物が建っています。1913年開設、1926年廃止。当時はこの付近が市街地だったそうです(下市街)。昔の鹿追小学校も近くにありました。拓鉄の駅が現在の市街地にできこともあり、そちらに中心が移りました(中市街)。

クテクウシ川・・・然別川の左岸支流にあります。kutek-us-iで「鹿捕り柵・ある・もの」だそうです。鹿追はその意訳といわれています。
然別川流域に東士狩村がありました。1906年合併して音更村大字東士狩村になりました。1921年音更村から分村して一部を除いて旧東士狩村は鹿追村になりました。