私が学生の頃は、誰しも「旧型客車」とは呼んでいませんでした。そもそも普通列車は50系(1977年製造)登場前の最新鋭は10系(1955年製造)で、新旧の区別も無く「客車」あるいは「雑客」と呼んでいました。

(1977.12.31 五能線)

高校生の頃、冬休みに五能線に乗車しました。

10系気動車が主力の中、数往復の客車運用があり、オハフ61で東能代に向かいました。60系客車は木製の背もたれと、プリン型の白熱灯が特徴で、東北本線黒磯以北で見ることができました。

(1977.12.31 五能線 オハフ61-344)

社会人となった1986年、旧型客車の淘汰が進みましたが、辛うじて山陰本線福知山以西に残されており、当時大阪勤務だった地の利を大いに活かせました。

(1986.12 山陰本線 福知山駅)

山陰本線では、行商人用にオハニ36が福知山〜浜坂間の運用に就いており人気車両でした。

この日は白熱灯のオハニ36-11が編成に組み込まれていました。(もう1両のオハニ36-7は蛍光灯でした)

(1986.12 山陰本線 オハニ36-11)

この日が、ごく日常の白熱灯・ニス塗りの普通列車に乗車できた最後となりました。