晩年の「関西国電の始祖」グリーンマックスから新発売! | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

テーマ:

みなさんこんにちは。今日の話題です。



先日のこと。久びさに日本橋(大阪市浪速区)へ足を運んで来ました。


お目当てはこちらの「ジョーシンスーパーキッズランド本店」、鉄道模型ならば、大阪では随一の品揃えです。



この日は、阪神が勝った翌日。
来店すると、ポイント引き換えが出来るというのは「ジョーシン名物」です。

大型連勝もありましたし、少しずつ調子が上がればと思うのですが。阪神ファンではありませんが(汗)


それはさておき、店頭にたくさん貼られた模型の新製品情報、6月以降予定の「グリーンマックス」社のもの。
近鉄特急スナックカーも気になるのですが…


おっ、と見つけたのが「国鉄クモハ41・クハ55形電車」の塗装済キットでした。


実見したことはありませんが、目にも鮮やかなオレンジ一色を纏った姿というのは、昭和30〜50年代の晩年の姿。環状線、阪和線、片町線などで活躍した頃のものだそうです。



手元の「国鉄の車両20 京阪神各線(関崇博著・保育社発行 1984年4月)」より。

戦前から私鉄が強大な勢力を誇ることから「私鉄王国」と呼ばれていた関西圏の鉄道網。


この書籍が発行された昭和50年代後半には、防戦一方だった旧国鉄が、スピード面での有利さを武器にようやく攻勢を掛け始める…という頃でした。北側に梅田貨物駅、そして大屋根のかかっていないという頃の、大阪駅が懐かしい…


看板列車の新快速は「117系」が主役。
スピードに加え、高い居住性で競合する私鉄にとっては、大きな脅威になりました。


格下の快速には「113系」。これも懐かしいなと思うのですが、なにしろ数が膨大で、あまりに日常的に見たり乗ったりしていましたので、さほど興味は湧きませんでした。

いまとなっては絶滅危惧種ですが、それくらい当たり前の存在であったことを感じます。


さて、モデルになった本題の「40形電車」。
如何にも時代を感じる外観ですが、デビューしたのは戦前、1932(昭和7)年のこと。


関西の旧国鉄路線で、最初に電化されたのは、1932(昭和7)年12月、「片町線(現在のJR学研都市線)片町〜四条畷間」。その際に投入されたのが、くだんの「40形電車」でした。

乗客の多い「東海道本線」や「環状線」ではないというのが意外なところです。



「片町線(学研都市線)」はわたしの地元路線ですが、あたらしい技術を本格的に導入するに当たり、事前にテストを行うモデル線区だったようです。

まだまだ有人改札が多数で、裏の白いきっぷが当たり前だった頃にも、水色の自動改札機が各駅に置かれたのもそうでした。片町線の駅に実際に設置されていた自動改札機。京都鉄道博物館にて。


わたしが物心つく直前に、くだんの「40形」の一族は置き換えられたのですが、オレンジ一色の塗装はそれ以降も引き継がれました。



「101系」「103系」がそれに当たりますが、戦前に初舞台を踏んだ地で最後まで活躍した訳でオレンジ色の電車が懐かしい世代の地元民としては、なにやら縁のようなものを感じます。



さっそく、予約して参りました\(^o^)/
届きましたら、また後日の項で取り上げたいと思います。

今日はこんなところです。