西武2000系2007F、最期の時⑯4月23日・定期運用最終日【前】 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

4月23日土曜日…結果的に、いよいよその日が来た。


2007F、定期運用終了。


この日には気付いていなかったが、25日に一切運用に入らなかったことで静かに幕を引いた。

予測こそはしていたが、その通りになったので正直なところとてもホッとした。

なまじ定期運用終了を事前に予告したら、今のご時世すぐに荒れることは予想できたからね。

おかげで、終始穏やかな気持ちのままで撮り回れたのは今となってはありがたいことだった。


  追いに追って一ヶ月、いよいよ最終章


ちなみにこの日は、メットライフドーム改めベルーナドームでライオンズのデーゲームの日。

しかもライオンズ・クラシックということもあり、野球臨に2007Fが入るのではないか?などと

事前に予測を立て、ダイヤのシミュレーションもしてみたりしていた。

しかしいざ朝起きてみたら、どうにもその運用には入りそうにないことがわかった。

それもあり、日頃の疲れもあり初動を遅らせ…

結果、拝島線の最後の通常運行は捉えずに終わったが、これまでの蓄積があるから良いかなと。


そしてこの日は「52席の至福」の団体臨時列車が初めて拝島線に入線した。

国分寺線に乗り、小川駅を通った時に国分寺行きホームの行き先案内表示を見て思い出した。

このため予定をさらに組み直し、小川駅で「52席の至福」を迎撃、撮影してから再移動。



984〜985レ

[団体]52席の至福(西武園→小川→拝島)※小川11:27〜28頃


後から見たら、一回国分寺線の鷹の台まで行き、折り返し西武園へ、さらに折り返してここから

拝島線に入って行くという、なんともマニアックなルートで走破したそうだ。

もうちょっと事前情報をしっかり確かめて、がっつり撮影してからでも遅くなかったかな。


…そんなこともあり、この日の2007F初写は昼からであった。

5627レ [各停]西武新宿→本川越

@新所沢12:04


ちょうど昼時で、土曜日でもあったことからやはり人出はそれなりに多い定番ポイントから。

最近よく見かける顔とも挨拶を交わしつつ、サッと撮っていく。


車掌の交替を見守り、自分は乗り鉄スタート。

正真正銘の2007F最後の乗車の一日が始まったのだった。


西武新宿線に初めて乗ってから33年。

小学校の遠足で入曽まで行ったのが最初のはずだが、この時乗ったのは何系だっただろう?

実は入曽は中学の時にも全く同じ場所に行ってて、やはり西武新宿線を利用している筈なのだが

このあたりの記憶が考えられないほど抜け落ちてしまっている。

唯一記憶があるのは、小学校の時はJR線の運賃をケチって恋ヶ窪駅まで歩かされたくらいだw


その頃から主力として走ってきた2000系も、いよいよ岐路に立ち始めている。

最後の走りを噛み締めながら、次への一手を考えている。


そして、本川越に到着。

これが2007Fで最後の本川越訪問になった。


それでも、もう何度も来ているのであまり動きはせず…

ここでは、とりあえずは見送ってみることに。


5622レ [各停]本川越→西武新宿

@本川越12:27発


何度も来ている割に、ヘッドマークが付いてから発車場面を撮ったのはこれが最初で最後。
機転を利かせて撮っておいて良かったかな。

…そしてここからは、後続の12:34発「小江戸22号」で追走。
今度は抵抗制御の唸りをガンガン堪能しながら、水分を補給しつつ移動。
約7分の差はほどなく縮まり、東村山であっけなく追いつく。


東村山から、2007Fの旅を再開。

一番速度が乗る区間の走りを心底まで堪能。


そして、また小平から先回り。


待っていた急行は6000系6102F。

こちらの走りもとことん堪能しておきたいもの。


…そして今度は田無へ。

しかし、ここでは踏切直前横断で到着直前に抑止されるトラブルが。

2007F絡みでは無かったものの、いきなりの抑止に周りも少しザワつく事態に。


それでも、ほどなく運転を再開して旅も再開。

また一つずつ東に進んでいく。


そして、また先回りする前に…

初めて見た、方向幕対照表。

これが最終形態となったようだ。

田無だけ連続して収められていた意味はなんだったのだろう?


土曜昼の戻ってきた賑わいを見ながら、最後の日常を黙々と務めていく。

後輩に先を譲りつつも、堂々とした走りを続けていた。