機 番:73号機
新 製:昭和30年3月29日
製 造:日立製作所
製造番号:No.191340-1
新製配置:東京機関区
最終配置:宇都宮運転所
廃 車:昭和57年2月4日
(工事通達第1058号による)
【廃車時の形態】
パンタグラフ:PS14
前照灯:原型
尾灯:原型内バメ式
正面窓:小型
正面ヒサシ:小型
デフロスタ:なし
正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈
列車電話:あり
電源車制御装置:なし
元空気ダメ引き通し管:なし
スノープラウ:なし
スノープラウ取り付け台座:あり
ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ
常磐線用列車無線:なし
汽笛カバー:なし
乗務員ドア:原型
側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ
側面エアフィルター:原型縦縞タイプ
側面ナンバープレート:板状タイプ
暖房装置:EG
【改造箇所(抜粋)】
昭和32年 2月 7日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年2月14日に出場)
SG煙突の改造、連絡用電話の取り付け。
昭和34年 9月21日~:臨時修繕(施工は浜松工場で同年9月26日に出場)
特別塗粧。
昭和35年 2月10日~:臨時修繕(施工は浜松工場で同年2月13日に出場)
前照灯の改造と車警(A)の取り付け。
昭和38年 5月22日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年5月29日に出場)
前面に手すりと足台を取り付け。
昭和48年10月29日~:全般検査(施工は大宮工場で同年11月7日に出場)
ワイパーをWP50に交換。
【転配履歴】
昭和30年 4月 2日:高崎第二機関区に貸し出し
昭和30年 6月25日:稲沢第二機関区に貸し出し
昭和30年 6月26日:米原機関区に貸し出し
昭和30年 7月14日:稲沢第二機関区に貸し出し
昭和30年 7月23日:東京機関区に返還
昭和35年 5月22日:国府津機関区に貸し出し
昭和35年 5月25日:東京機関区に返還
昭和41年 7月29日:高崎第二機関区に貸し出し
昭和41年 8月15日:東京機関区に返還
昭和41年12月27日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和42年 1月 8日:東京機関区に返還
昭和42年 7月31日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和42年 8月20日:東京機関区に返還
昭和43年12月30日:宇都宮運転所に貸し出し
昭和44年 1月 8日:東京機関区に返還
昭和44年11月20日:新鶴見機関区に貸し出し
昭和44年12月 6日:東京機関区に返還
昭和45年11月15日:新鶴見機関区に貸し出し
昭和45年11月30日:東京機関区に返還
昭和45年12月 4日:新鶴見機関区に貸し出し
昭和45年12月26日:東京機関区に返還
昭和46年 3月 1日:宇都宮運転所
昭和55年 9月 1日:第一種休車に指定
東海道本線全線電化開業を見越した増備車(第5次増備車)の第1号で、製造ロットの差こそあれ、初の昭和30年代生まれになります。新製配置は東京機関区ですが、新製配置からわずか4日で高崎に貸し出され、さらに稲沢→米原→稲沢と転々とした後、4ヶ月後にやっと古巣に戻るというタイトなスケジュールをこなしました。その後も貸し出しが続き、なかなか東京機関区で寛ぐ時間は無かったようですね。
73号機は長らく、東京機関区におけるお召し予備機に指定されており、61号機がお召し列車牽引に際して整備を受ける際は、常に73号機も整備を受けてスタンバっていました。昭和34年9月の臨修で実施された特別塗粧もその関連だと思われます。その関係で、昭和40年以降もぶどう色を堅持していましたが、昭和46年にその指定が解除されて宇都宮に転属。暖房蔵置もEGに変更されました。宇都宮転配後は目立った動きが無く、東北本線で黙々と旅客列車や荷物列車を牽引して余生を過ごしていました。
撮影年は未定ですが、東北本線であるのは確か。東大宮-蓮田間か、久喜-白岡間か、そんな感じですね。
(画像提供:ダ様)