昨日発表された西武HDの決算補足説明資料(P.47)での言及が、大きな話題になっている。
自然な見方をすれば101系、2000系、4000系といった未だ多数を占めるVVVF制御ではない系列が
動きが出そうなのは確実だろうから、引き続き動向を細かく見ていく必要がありそうだ。
2007F引退は、激変への序章なのか?
4月17日の続き。
様々なスケジュールの合間を縫ってでも西武に赴いたのは、これから先の激変を予感したか?
ともかく東武鉄道と同様、次第に珍しくなりつつある昭和世代の面影を追ってきたゆえだ。
今あるものは全て永久ではない。
動けるなら、ヘッドマークが付こうが付くまいがどんどん記録していくべきなのだ。
…いや、わかってくれているか。
一連の動きを通じて、次第にそれは感じ取れるようにはなってきていた。
ただ、細かい事情を聞くにつれ、ウーンと唸るくらい複雑な気持ちになったのも否めないが。
そういう部分の距離感の取り方にも、次第に悩むようになっていく。
日々フルパワーで走り過ぎないこと。
時には減速して、パワーを抑えて確実に走り抜ける術を身につけていった方がいい。
ペース配分って、やっぱり大事。
2661レは所沢へ。
少し停車時間に余裕があるタイミングで、子供と乗務員たちの手の振り合いにほっこり。
西武鉄道を代表してきたこの顔が見られるのも、あとどれくらいになるのだろうか。
残された時間は長くはない。
これまでの思い出と、さまざまな思いに駆られながら、乗り鉄を続ける。
その走りは優等列車故いつもより気持ち早く、未練を振り切るように走り抜けていく。
本川越では、幕変換のタイミングで朝撮れなかった快速急行のリベンジも…
夕方には、周りの2007Fへの熱も落ち着きを取り戻しつつあった。
さて、この日最後の旅は4610レ[準急]で。
そういえば、自分が西武鉄道の優等列車で初めて乗ったのは準急だったっけな。
…国分寺発西武遊園地行きの野球臨だったが。
しかも351系がまだ健在の頃の話。
なんか唐突に思い出したから書き残しておくけど。
二段窓、というアイテムもやがて遠い過去のものになるに違いない。
既に危険防止とかいう名目で下段は開かなくなっているけど。
そんな部分にもしみじみ哀愁を感じる時代になってきた。
方向上、帰路は2403Fメインの記録に。
実はこの時、2403Fも近々引退、それも2007Fより早い?とかいう未確認情報も流れていた。
方向幕付きのまっさらスタイルは2403Fしか見られなくなっていただけに、俄然注目していた。
だが、2403Fは噂を覆し今なお残留している。
だが増結編成という性格上、10両編成の増備車が入ってくるとその先行きも危ういのは確か。
この日まで稼働率も低く上石神井に留置される場面を多く見ていただけに、不安感は強い。
それだけにこの日、元気な姿を見れたのは大きなことであった。
もうしばらく動向を注視し、また記録行脚を仕掛けられるようにしたい。
そして、2007Fもいよいよファイナルカウントダウンが刻々と。
この日は16:52、小平駅で別れを告げたが…
また悶々とする平日を経て、最後の記録に加速をつけていく。