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JR東日本 山田線は盛岡を起点として、かつては岩手県を横断し、宮古から三陸沿岸を南下して陸中山田を通って、終点の釜石に至る157.5kmの線区でした。    東日本大震災で宮古~釜石間は甚大な被害を受け長期間運休状態となりましたが、地元からの強い要望(JR東日本はBRT化を提案)を受けて鉄路での復旧工事が実施され、2019年に全線再開されると同時に宮古~釜石間は上下分離方式で三陸鉄道に移管されました。    現在は盛岡を起点とし、宮古を終点とする、起終点の盛岡、宮古を含めて全部で16駅、102.1kmの線区となっています。   路線は盛岡市内と宮古市内のみを走っているのですが、逆に言うと盛岡と宮古の市街地以外は両市の山間区間のみを走行するため、沿線にこれといった町並みもなく、以前より利用客が極めて少ない代表的な赤字ローカル線のひとつです。

鉄爺が初めて山田線に乗ったのは2006年で、この当時はまだ盛岡色の赤鬼と呼ばれたキハ52が使用されていました。 (見出し写真は盛岡駅停車中の山田線 赤鬼のキハ52です。) 

山田線が通る、早池峰山の周辺山地は本州で最後に電灯が灯ったというくらいの秘境であり、人家も本当にまばらで乗客が期待できない地域です。    なかでも2016年に廃駅となりましたが大志田駅、浅岸駅は全国的にも有名なトップクラスの秘境駅でした。    とくに大志田駅は宮古からの始発列車で降りると夜の列車まで13時間近く、周辺に何もない駅で待つ必要があり、かつ前回のブログで書いたように宮古行きの始発列車は19時20分であったので明るいうちに到達するのが本当に難しい駅でした。    日没の遅い6月にタイミングを合わせて大志田駅を初めて訪問した際においても、その日はあいにくの雨模様で、車掌さんから「本当に降りるのですか?」と問われるくらいの駅でした。  
現在大志田駅のあったところの分岐線と作業小屋はそのままですが、ホームはもちろん完全に撤去されています。  (写真は2009年に訪問した際の大志田駅の様子です。)
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大志田の次の浅岸は夕方の列車が停車したので、夏場には明るいうちに訪問することができました。   浅岸駅の近くには廃村しかありませんでしたが、鉄爺が浅岸を訪問した際には盛岡まで行く、生活利用者が一緒に乗車されました。   駅近くまで車で来られていたようです。  現在ホームと待合室は完全に撤去されていますが、信号施設の建屋はそのまま残っており、どこに駅があったのかはわかります。  (写真は2008年撮影に撮影した浅岸駅の様子です。)
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山田線には昭和の香りがする木造の駅がかなりありましたが、ここ数年で建て替えが進み、こじんまりとした簡素な駅舎に変わっています。

まず東北6県の中で最も標高の高いところにある区界駅ですが、かつては一部の快速列車も停車する列車交換可能な対面式2線の駅で駅員さんもおり、駅のスタンプも置いてある駅でした。   (写真は2009年に撮影した、かつての区界駅の様子と駅のスタンプです。)
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現在かつての対面式ホームは残っていますが、列車交換のできない単ホーム運用の駅となって、新しい駅舎はこじんまりとした無人駅となりました。  ホームから見える兜明神岳の姿は変わりませんが駅前の国道106号線を通るバスも大半が新しい復興道路経由となり、降りにくい駅となってしまいました。   (写真は今年4月に撮影した現在の区界駅の様子です。)
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宮古への通勤、通学時間帯に始発列車がある川内駅もかつては列車の入れ替え、連結作業があるため駅員さんのいる駅で、木造の立派な駅舎がありました。  (写真は2010年に撮影した、かつての川内駅の様子と駅のスタンプです。)
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現在も始発列車はありますが無人駅化されており、駅舎も待合室だけの小さなものへと変わっています。  またかつては島式ホームを持つ3線の駅でしたが、対面式ホーム2線の駅に変わっています。     (写真は今年4月に撮影した現在の川内駅の様子です。)
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上米内を出た快速リアス号が約1時間後に停車するのがかつての川井村(現在は宮古市川井)の中心である陸中川井駅です。  この駅も建て替えられた区界、川内、茂市、千徳などと同じように木造の駅舎なのですが、駅舎のなかに地元の川井交通の事務所がある関係からか、古い木造の駅舎が保たれています。  この駅の中にも地元?の駅っ娘さんのイラスト画が飾ってありました。   (写真は今年4月に撮影した現在の陸中川井駅の様子です。)
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かつて山田線から岩泉線への乗り換え駅であった茂市駅も新しくなりました。   鉄爺が初めて茂市に降りた2006年においては茂市駅の岩泉線ホームにはキハ52が停車しており、茂市駅は駅員さんのいる駅のスタンプもある駅でした。   2007年からキハ110の運用が開始され、キハ52からキハ110に変更された際の乗降方法の変更案内や岩泉線の資料なども飾られていました。   (写真は2008年に撮影した茂市駅の様子と駅のスタンプです。)
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現在の茂市駅は山田線のホームから駅舎をつなぐ跨線橋はすでに撤去され、バリアフリー対応の通路がかつての岩泉線のホームを切り刻む形で設置され、駅舎も小さなものへと様変わりしています。   駅舎の中にはここにも駅っ娘さんのイラスト画が新旧駅舎をバックにして2枚飾ってありました。  (写真は今年3月に撮影した現在の茂市駅の様子と駅舎内の駅っ娘さんのイラストです。)
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宮古のひとつ手前の千徳駅は単ホームながら、かつてはホーム上の駅舎の一角にツタに覆われたカフェがあった駅で、列車の待ち時間をつぶすにはうってつけの駅でした。  (写真は2010年に撮影した千徳駅の様子と、カフェの内部です。)
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現在は全く味気のない無人駅に変わってしまい、ちょっと残念なところです。  (写真は2018年に撮影した現在の千徳駅の様子です。)
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終点の宮古駅もかつてはJR中心の駅でしたが、現在は三陸鉄道が中心で、かつての三陸鉄道宮古駅は三陸鉄道のお土産ショップに生まれ変わっています。  (写真はかつての宮古駅と現在の宮古駅の様子です。)  
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2006年にはキハ52がたくさんいた駅構内は現在三陸鉄道の車両が大勢を占めています。 (写真はほぼ同じ位置から撮影した2006年と2022年4月の宮古駅構内の様子です。 3番線だけがJR山田線のホームとして使用されています。)
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前回のブログでご紹介したように、今年3月12日のダイヤ改正で、平津戸駅が実質廃駅(全列車通過)となりましたが、列車本数自体がもともと少なく、盛岡~宮古間の震災復興道路も完成したことから山田線の存続自体が ますます微妙になってきているのではないかと、とても心配しています。