今回は稚内絡みという事で、またもお約束のショットから始まります😅
言わずと知れた『日本最北端の駅・稚内駅』ですが、稚内市が進める駅周辺の再開発計画の一環として2011年に駅舎部分が建て替えられ、翌2012年4月29日に旧駅舎跡に建築された再開発ビル『キタカラ』がグランドオープン、それから満10年が経ったG・W初日の4月29日に稚内駅新駅舎グランドオープン10周年記念企画及びイベントが開催されました。
この企画の一環として、『稚内駅新駅舎グランドオープン10周年記念入場券』が同日から3000枚限定で発売されるとの事で、名寄高校駅の開業記念乗車券が買えなかったというトラウマの恨みもあって、その後再び行く予定があるにも関わらず発売初日に買うという目的で4月28日に稚内に前乗りさせて頂きました。
今回はその旅の始まりから、4月29日のイベントまでの事を紹介させて頂きます。本題のイベントに入るまでが非常に長くて鬱陶しく感じるかもしれませんが、あくまでも旅行記という事でご理解ください(当ブログのコンセプトなので)。
4月28日は学園都市線2538Mで札幌駅へ向かい、9:00発の2007Mカムイ7号(789系HL-1007)を旭川駅まで乗車します。稚内へは旭川駅13:35発61Dサロベツ1号で向かうのですが、その前にテツ友のらんちゃん様とのお約束がありまして。
私が乗車したのは1号車自由席(クハ789-1007)ですが、平日(金曜日)にも関わらずビジネス客も極わずかで、札幌からの乗客は10名以下という寂しい状況…。
切符は3月25日に発売再開となった『HOKKAIDO LOVE!6日間周遊パス』(LOVEパス)使用です。今回使用したパスの有効期間は4月26日~ですが、26・27日のLOVEパス旅についてはブログで紹介するまでの内容でもないため割愛させて頂きます。今回の旅の前にも発売再開直後に購入した別のパスでJR北海道在来線全線走破の旅を敢行しているのですが、ソチラについてはまた別の機会に紹介させて頂きます(出す出す詐欺みたいですが、いずれ必ずアップします。但し遅筆過ぎていつになる事やら!?)。
札幌駅を発車して程なく、苗穂工場の構内傍らを通過しますが、キハ183-1551が廃車のためか留置されていました。かつてはおおぞら用(キハ283系初期車と同じ座席に交換、床も同様に張替え)として使用されていた車両で、オホーツク・大雪では専ら自由席として使用されていました。先に同様の先頭車1554(コチラは1号車指定席用)も廃車解体のため入場しており、元おおぞら用のキハ183系は消滅する事になりそうです…。
先日5月4日にキハ183系復刻新特急色のオホーツク3号を撮影した大麻某所付近の桜🌸の木。この日で8~9分(?)咲きという具合で、あれだけ1~2月がドカ雪で悩まされたのがウソのようで、春の訪れは想像以上に早かったのでした。
滝川駅に留置されていたキハ40 1779『道東 森の恵み』(旭アサ)。サボは「滝川↔旭川」を掲出していましたが、この2日前には根室本線滝川口で運用に入っていました。思わぬ形で同区間を走行する事になった元釧路車…。今列車が走っている富良野~東鹿越も、地元との話し合いが決着すればバス転換される運命にあります。
旭川駅6番線には10:25に到着。
車両はそのまま折返し11:00発の2020Mカムイ20号となります。
旭川駅東コンコースには、5月14日~6月5日の土日に運転予定の臨時急行『花たび そうや』のPRが…。「今年こそ、行けSOYA」のキャッチコピーが嘘になりませんように🙏
旭川駅にはらんちゃん様が車でお迎えに来てくださいました。
実はらんちゃん様に「とあるお祝いとして」お食事をご馳走するという約束をしていたので、今回稚内へ向かう前に彼女とお会いしたのはそれを果たすためでした。
スープカレーがリクエストという事で、行ったのは春光4条9丁目の『シノカリー』というお店。
店主がワンオペで回しているという営業形態で、開店から間もないタイミングで入れたのでそんなに待たされる事なく料理を提供してもらえましたが、お昼時とかは非常に混み合いそうで駐車場も少ないので来店の際は注意が必要です。
私は「角煮カレー」(¥1250)を注文。角煮と野菜がゴロゴロと入っていてなかなか食べ応えがあり、スープの味も申し分ナシ!(ちょっと辛かったけど(汗))
らんちゃん様とお別れして再び旭川駅ホームに上がると、13:35発61Dサロベツ1号の車両は既に入線済みでした。今回は通常のキハ261系基本番台車4連(HE-104+HE-203)。
私が席を確保していたのは1号車(キロハ261-203)指定席区画。キロハとしては久々の乗車となります。定員28名の小部屋ですが、旭川からの乗車は私の他に年配の男1人だけ(彼は豊富駅で下車したため、以降は私1人の貸切状態!)という閑散振り…。
13:25、札幌方面からの乗換列車である3015Mライラック15号が隣の4番線に到着。
偶然にも(?)「SOYA」ラッピングの789系HE-103+HE-203でした。
旭川駅発車後、石北本線が分岐する新旭川駅で、先程まで一緒だったらんちゃん様がお見送りしてくれました😉
宗谷本線最大の難所・塩狩峠を越えます。峠のサミットにあたる塩狩駅周辺は春になれば千本桜が咲き誇る桜🌸の名所でもありますが、標高が高いだけにまだ桜の木は蕾か、せいぜい少し開いたという状態でした。ちなみに千本桜は車窓右側のほうに見えます。今年は道内全体開花が早いため、『花たび そうや』運転初日の5月14日は、まだ見頃だと良いのですが…。
そういえば、この峠で起きた悲劇を元に書かれた小説『塩狩峠』の作者・三浦綾子が生誕して今年で100年という節目であります。
3月12日のダイヤ改正で役目を終えた旧東風連駅跡と、それを移転して新たに開業した名寄高校駅(通称・Nステ)を通過。何度もシツコイですが、一部の心無いクズヲタが買い占めたために開業記念乗車券が当日中に売り切れてしまった事は大変遺憾に思っています(1人1回当たりの発売制限を掛けなかった名寄駅が一番の大問題なのだが)。
このサロベツ1号は、かつての急行『天北』のスジを継承する列車。その天北線が分岐していた音威子府駅に停車。
音威子府駅を発車後、右に分岐していた天北線の廃線跡が分かれていきます。
廃線から33年が経過し、かつての路盤には木が生い茂り、時の流れを痛切に感じさせられたのでありました…。2枚目写真の国道275号線の右側の築堤が天北線跡。左奥には、宗谷本線の新たな脅威ともいえる国道40号音威子府道路(建設中)の橋梁が…。
音威子府~筬島の天塩川。融雪期のためかなり増水しています。
この日は晴天に恵まれたため、しっかり車窓を堪能しようと思っていたにも関わらず…佐久駅通過から先の記憶がなく…。ハイ、睡魔に襲われて寝落ちしてしまったのであります😪
目覚めたら旧上幌延駅の手前付近で、利尻山も既に見えていたのですが、天塩川沿いの区間の車窓風景でも特にハイライトといえる糠南~雄信内の問平陸橋通過時は完全に爆睡中という大失態をヤラカしたのでした…😨
その旧上幌延駅跡。手前の旧安牛駅(共に2021年3月ダイヤ改正で廃駅)と同様に『ダルマ駅舎』は元々あった位置から移設され、当面の間は保存される事になっています。
上幌延~幌延で見えた利尻山。山頂までクッキリです!
コチラのブログでも紹介しましたが、国鉄最後の廃止路線となった羽幌線の終着駅であった幌延駅。発車後、廃線跡が左に分かれていきますが、音威子府付近の天北線とは異なり、クマザサが生い茂るだけで廃線跡の痕跡はハッキリと判ります。
かつては最北へ向かう鉄路が宗谷本線の他に羽幌線、天北線と3ルートがあったのですが、それらが存在していた頃に思う存分乗り鉄できた人がホント羨ましいですね…。
幌延~下沼の緑豊かな牧草地。
道北にも着実に春が訪れている事が実感できます。
下沼~豊富の利尻山。
兜沼駅手前の水芭蕉群生地。
今年は春の訪れが早いのでしょうか?こんな北辺の地でも4月に水芭蕉が咲くなんて…。
サロベツ1号の旅のフィナーレを飾るかのように、抜海~南稚内で見える日本海に浮かぶ利尻山。コレだけバッチリ見えたら言う事ナシ!🙌
私が死んだら、ここの海に散骨して欲しいと思っている程お気に入りの風景なのです。墓地の用地や継承問題を考えたら、海洋散骨をもっと自由化すべきと願うばかりです。
抜海の丘を下ると稚内の市街地に入り、音威子府から分岐していた天北線の廃線跡が右側から合流して南稚内駅に到着します。合流付近の廃線跡は現在稚内市立図書館の駐車場と、葬儀場の敷地になっています。
終着間際で最果てへのローカル線としては異例の高架区間に入り、稚内の港を見ながら高架を下ると終着・稚内駅に進入します。
17:23、日本最北端の駅・稚内駅に到着!
本記事トップ画像はこの時の撮影です😜そういえば、枕崎市と稚内市が友好都市を締結してコチラも10年が経つんですね…。
ホームから改札口へ続く通路へは、稚内駅新駅舎グランドオープン10周年記念のポスター、そして『花たび そうや』のフラッグが掲示されていました。
改札口を抜けると、駅員さんの手で翌29日に控えたイベントの準備が進められていました。
サロベツ1号の車両は、そのまま17:44発札幌行52D宗谷として折返します。
稚内駅は『道の駅わっかない』と併設されており、コチラもグランドオープン10周年なのでありました。ちなみに『道の駅』としての開設は2012年5月3日で、新駅ビル『キタカラ』の開業からは4日遅れです。
以下5枚の写真は、道の駅わっかないオープン当日の2012年5月3日撮影。
この時私、JRには申し訳ないですがマイカーで訪問しており、初日の『道の駅記念きっぷ』目当てで札幌から遠路はるばるやってきたのでした。道の駅10周年を迎えた先日5月3日には非売品の記念きっぷが限定配布されたとの事ですが、本当はコチラも入手したかった…。
キタカラビル内には、道の駅わっかない10周年記念パネルが既に設置されていました。
その中の1つを紹介しますが、現稚内駅舎(JR使用施設分)とキタカラビル1期工事分(現駅舎正面から見て右側。日本最北のシネコン『T・ジョイ稚内』、セイコーマートとバスターミナルがある棟)の間に旧駅舎が建っていたというのがわかります。2011年に先行して駅舎部分が供用開始され、その後旧駅舎を解体、そして跡地に現在の『キタカラセレクト』(物販・喫茶など)とグループホームなどがある5階建ての中央部分が建設されたという経緯があります。
グランドオープン10周年を翌日に控えた稚内駅舎及びキタカラビル。
『最北端の線路』の車止めモニュメントの横にある稚内市カントリーサイン付の電光掲示板は、旅行者への記念撮影用として昨年8月5日に設置され、日付と現在時刻の他に気温と風速も表示されています。この時間ともなると10℃を切り、ちょっと肌寒くなってきましたが…。
コチラは電光掲示板設置からわずか2日後の昨年8月7日に乗り鉄(旭川駅6:03発の普通列車)で稚内駅を訪問した時の表示(私はこの時初見)。
滅多に真夏日にならない稚内で31.4℃!流石の私も「なまら驚いた😲💦」とにかく、去年の北海道の夏は暑かった!海水温が上がれば、そりゃ真冬になればドカ雪も降るよね…。かねてから私が心配していた通りの結果になってしまいました。コレも温暖化の影響なんでしょうか…。
駅舎玄関には、翌日から発売開始となる記念入場券の購入の順番待ちのための張り紙がありました。早速、13時半位から並んでいるという旨が書かれた紙を貼り付けたリュックが置かれて場所取りされていましたが。どうせ一番乗りしても、0001(「~0004まで自治体等に進呈」との事)の券番なんて買えないのにねぇ…(苦笑)。まぁ私は券番号にはこだわらないので、とにかく買えればいいんです。
私はキタカラビル2階にある展望デッキに上がり、先程乗ってきたサロベツ1号の折返しとなる52D上り宗谷を見送り、その後18:03発4330Dとなるキハ54 527(元急行礼文用)の入線を見届け、稚内駅を後にしました。
尚、キタカラビル2階にある観光案内所では、『ラベンダー編成』または『花たび そうや』の写真を「#宗谷線乗っとく」のハッシュタグを付けてSNSにアップするとオリジナルカードが貰えるのですが、私は滅多にTwitterに投稿する事がないので…(ブログもそうですが、諸事情によりどなた様もフォローしていないため…m(__)m)。
この日は『天北の湯 ドーミーイン稚内』(当ブログにも何度か登場)に宿を確保。『どうみん割』利用につきダブルルーム¥4000(+¥2000分の『ほっかいどう応援クーポン』付)という格安(※4月28日までの料金)で泊まる事ができました。
この日泊まった部屋からは稚内の港とキタカラビルを一応望む事ができ、撮影時はハートランドフェリーの最新船『アマポーラ宗谷』がちょうど入港するタイミングでした。


























ここで旧駅舎時代の思い出写真を。
私が初めて稚内駅に降り立ったのはJR1年目の1987年8月。以降何度か旧駅舎時代に当駅を訪問しており、その中から1995年6月の写真を3枚紹介します。
1965年に建てられた鉄筋コンクリート2階建てのいわゆる国鉄型駅舎はかつて車掌区も併設されており、まさに主要駅に相応しい佇まいでした。
当時の2番線ホームから線路末端方を見た図。この当時は『最北端の線路』の看板もなく、現駅前広場にあるモニュメントとは異なる車止めで、砂利が盛られているだけでした。急行利尻がキハ400系気動車化された1991年3月ダイヤ改正以降、線路が短縮されてホームの一部が取り壊され、北側の分岐器も撤去された事に伴い機回しができなくなった事から機関車牽引列車の発着はプッシュプル以外不可能になりました。そのため、2002年に特別に運転された『北斗星利尻号』は南稚内駅が終着駅という異例の運行形態となったのでした。
奥に見える稚内港北防波堤ドームと、右の稚内全日空ホテルの建物(現・サフィールホテル稚内)は今も変わらず。
今回『エコノミープラス』(リンクは車種一覧の乗用車)を「車種おまかせ」で予約した車種はカローラスポーツ1.2ターボ(2021年式)。まぁ当たりを引いたといえましょうか。勿論私としては初めて乗る車種です。