昨日瀬戸駅でのことを書いたけどその後の様子を。

 

岡山でぎゅうぎゅう詰めになった電車。

 

しかし倉敷でだいぶ降りてぎゅうぎゅう状態は解消。

今回の旅は記事にする気もなかったのでデジカメは持ってきておらず写真を撮ることもなくぼーっと窓の外を眺めたり寝たりして過ごす。途中でオリジナルのかぼちゃ塗装の115系とすれ違う。昔は何の面白みもなかったけど今や貴重な湘南電車である。

 

備後のドン、福山ではまたドカッと乗って来た。

それも尾道で結構降りる。尾道は人が多かった。

 

糸崎に到着し多くの人が同じホームの向かい側に停まる電車に移動。「ん?あの電車が三原から乗り継ぐ電車になるんか?」と思うも時刻表の乗り継ぎを把握しておらずそのままスルー。

で、終点三原にとうちゃこ。

 

この光景もいずれ227系に置き換えられるんだろう。

結局三原からは後から来る糸崎からの電車に乗ることに。しかし1本逃すと1時間待ちか。えげつないダイヤになっとるな。この辺りも所要時間が長くなる一因かもしれん。三原でも10分以上待ったもんな。今回は姫路・相生・瀬戸・三原で乗り換えをしたけど大昔なら姫路・岡山で乗り換えたら広島までたどり着いたもの。乗り換えが増えればその分待ち時間が上乗せされる。遅くなるわけだ。

この間に呉線の電車もあるけどうかつに呉線に手を出すと結局山陽線周りの方が早かった・・・なんてことも起こりうる。まぁ今回そうなるかは調べてないけど。

 

三原を出発し海田市に到着すると同じタイミングで呉線の電車も入線してきた。「おっ!並走か?」と一瞬ときめく。海田市ー広島間は複々線なのである。しかしすぐに気づく。この複々線は山陽線と貨物線の複線を合わせたもの。そもそも次の向洋や天神川にはホームは上下各々一つしかないので物理的に山陽線と呉線の並走は不可能だ。というわけで呉線の電車を置き去りにして我が山陽線の電車は出発した。

途中の天神川は貨物駅の中にある駅。少し形は違うけど東海道線の稲沢みたいな感じ。貨物列車・・・というか電気機関車を撮るにはいいところである。

 

で、広島にとうちゃこ。可部線に乗り換え。ここでも30分以上待たされるんだが、発車案内板を見るとその間に緑井止まりの列車があった。昔はこんな時間に緑井止まりなんてなかったんだけどな。緑井以北は間引かれていた。寂しいことよ。

 

芸備線のダイヤを見ると可部線あき亀山行きよりも前に三次行きがあることを発見。新鮮味もない駅でぼーっと待つのも楽しくないので芸備線に乗ることにした。

おぉ~キハ120型ですか。

乗り入れてるのは知っていたけど広島駅で対面するのは初である。

 

そして列車は三次に向け出発。僕は玖村まで乗るんだがあき亀山も玖村も同じ広島市内の駅。どちらで降りても乗車券的には問題ない。

そして玖村にとうちゃこ。

玖村は小学生時代から思い出のある、僕の好きな駅である。

小学生の時分から電車に乗ってうろうろしていたんだが、可部線ばかりで飽きてた時に芸備線の存在を知る。

当時「学区外へ子供だけで出てはいけません」と言われていたんだが、そんなものは無視して僕は友達4~5人で高陽町から八木をまわって度々サイクリングをしていた。

その時に深川あたりで遭遇する広島色のキハ40が新鮮でねぇ。

それ以来、芸備線には非日常のワクワクを感じていた。

この玖村はある意味「ちょうどいい」駅でね、太田川の対岸にある梅林駅へは徒歩20分余りで行ける距離。玖村で降りて梅林まで歩いてそこから可部線に乗って家に帰っていた。もう一つのルートとして下深川から中島まで歩くというのもあるんだが、そちらの方はもっと時間がかかるので、玖村ー梅林ルートの方が都合がいいのだ。

というわけで梅林に向け歩く。芸備線の土手の反対側には広島市民の心の川、太田川が流れる。我が母校の小学校の校歌にも出てくるふるさとの川である。このアングルで撮り鉄したいなぁ。今回は時間もないしおもちゃみたいなスマホのカメラしかない。また次の機会だ。

高瀬堰を渡り安佐北区から安佐南区へ。あき亀山では弟君に車で拾ってもらうが、当初伝えている時間から変更は伝えていない・・・というか変更なしで予定通り到着できる。すなわち芸備線の乗って玖村から歩いても当初乗る予定だった可部線の電車にの電車に乗ることができるのである。いや~ミステリー物のトリックに使えそうである。生前の西村京太郎先生に教えてあげればよかったな。

しかしここは豚の呪いに侵された僕である。歩みが遅い。可部線の線路に出た頃には広島方面からやってくる電車のヘッドライトが見えており「やべっ!」と1分くらい駅に向かってダッシュした。

額から豚汁を吹き出しながら電車に乗車。可部方面からの電車と行き違いをするのですぐには発車しなかったが一瞬肝を冷やした。

そして列車は終点あき亀山にとうちゃこ。

建設中だった安佐市民病院も完成。

ここは小学校時代のホームタウン。

ここから徒歩数分のところにある丘の上の小学校に通っていた。

あき亀山と河戸帆待川の間に河戸という駅が存在していたんだが可部ー三段峡間が廃止になった際に合わせて廃止された。

あ、知らない人のために説明しますとね、このあき亀山のあるエリアは一度廃止されたんですよ。で、なんとなんとJR線として復活したんですよ。10数年後に。全国津々浦々のJR線(と言ってもほとんどJR北海道だが)が廃止されたが、廃止後に復活したのはこの可部線の可部ーあき亀山間のみである。バラストだってまだ白いでしょ?というわけでこの可部線は全国的にみても非常に稀有な存在なのである

 

で、話を元に戻すとこのあき亀山の手前に河戸という駅があった。今はもうなくなったんだが、その河戸駅跡もしっかり確認。元住民じゃなければ気づかないし気にも留めないところである。

いや~しかし立派な病院ができたな。今の安佐市民病院は中島駅近くにある。それがこちら側に新設・移転となるわけである。

この辺り、昔は荒下県住という県営住宅が建っていた。

ちなみにこのあき亀山駅、以前には安芸亀山駅というものが存在していた。可部→河戸→今井田→安芸亀山だったかな。廃止区間の駅である。きっと事務処理上で別の場所にあった駅名をそのまま新駅には使えなかったのであろう。安芸亀山の「安芸」がひらがなになった。また言うまでもないが「亀山駅」といえば関西線の亀山駅が先輩であり知名度もある。なので後発のこちらには「安芸」なり「あき」を付けたわけである。

 

しかし可部線の延伸でかつてのターミナル駅、可部は完全に中間駅になっちゃったな。昔は電化と非電化の境界駅で各々が可部を始発駅としていた。

とはいえね今でも可部線の主要中の主要駅である。バスターミナルも整備されたしね。

 

というわけであき亀山の駅も満喫し弟君お車に乗り込み実家に向かった。