2022年4月に東武10030型11460Fが廃車回送され25年で廃車になる車両がでました。しかし東武には意外と短命だった車両がいくつか存在します。今回は比較的車両を長く使う印象がある東武鉄道で短命だった車両を紹介していきます。

 

  2000系

初代日比谷線乗り入れよう車両として登場した2000系ですが長くても28年程度で引退していまいました。しかし、2000系は当時東武初の採用となった機構も多く両開きドアや全鋼製車体、全電動車などが挙げられます。登場は1961年です。

当時最新の技術をふんだんに詰め込んだ車両がなぜ短命に終わってしまったのか?それはこの車両が非冷房車であったことが一因でしょう。

1980年代後半、日比谷線の車両をすべて冷房化するという方針が立てられたとき構造上冷房を付けるのが難しい上、老朽化も進んでいたこの2000系を無理やり改造するよりも新型車両を作ったほうが得策だと踏み切り2000系は1993年をもって引退することとなりました。

また増加する乗客に対応するため追加製造された中間車両は経年が浅かったため1988年に野田線用の2080系に改造し、当時残っていた吊りかけ駆動の3000系を置き換えようとしました。

しかしふたを開けてみると故障を頻発したうえ冷房車が一般的になった時代に冷房がなかったため乗客からも不評だったようで増備が途中で打ち切りになり結局1992年に廃車になりました。この2080系の大失敗も2000系が短命になってしまった理由の一つかもしれません。

ちなみに2080系を押しのけたのが吊りかけ駆動の5070系というのも皮肉のスパイスが効いています。

  8000系

 

第一線から退けたものの登場から半世紀以上が経った今でも東武の顔ともいえる8000系ですが意外にも20数年で役目を終えたものがいます。

それが2008年に廃車された8571F、8578F、8580Fの3編成6両です。どれも1980年代に製造された車両です。特に8500型のラストナンバーでもある8580Fの登場は1983年1月でこの年の12月には10000系が登場しています。

2Rのラストナンバーも含めたこれらの車両は2008年に廃車となりわずか25年から27年で役目を終えています。同じ年代の8000系の多くは更新されてバリアフリー化されたりワンマン化されたりして未だ活躍していますが10年以上前に廃車になったものがいるなんて不思議な感じがします。

ほかにも東上線用の8両やワンマン化されなかった車両も30年程度で引退をしているという車両もいます。8000系の中でも8150Fや8561Fのように50年以上活躍しているものもあればこの車両のように30年未満で廃車になる編成もいると考えると東武8000系って奥が深いなと思いませんか?

 

  1800系

 

1969年に登場し急行りょうもう号として活躍した1800系ですが1987年に新たに1編成増備されます。それが2018年まで純粋な1800系として籍を置いていた1819Fです。1819Fは記憶に残っている人は多いのではないでしょうか?

1819Fはこれまでの1800系とはマイナーチェンジがなされ前照灯の形が変わりちょっと印象が変わりました。しかし1991年に1720系を更新した200系が登場すると1800系はりょうもうから撤退し1819Fも1800系の中で最後までりょうもうとして使われたものの1998年にりょうもうとしての運用を脱します。その後1819Fはご存知の通り波動用の車両として団体列車や日光線方面の臨時列車に使われてきました。もちろん定期の運用がなかったので神出鬼没の車両といってもいいでしょう。

登場が1987年と比較的最近でしたが2018年、1819Fに終焉が訪れます。春ごろに引退するという告知が発表され5月に行われたさよなら運転をもって引退、廃車となりました。31年での廃車だったうえ同年代の10000系、9000系が当たり前のように走っていたので個人的にはまだまだ走ると思っていたので廃車は残念でした。前述のとおり臨時・団体専用なので出番が少ない車両にコストをかけるのは効率が悪いと判断した結果なのでしょう。そう考えるとDRCに特急列車を、1800系に伊勢崎線急行を追われた後も臨時快速・快速急行や団体列車として1720系DRCが引退した1991年まで活躍した5700系は奇跡の存在というか今とは状況や環境が違うんだなと感じます。

これで1800系は形式消滅しましたが1800系を種車とした350型がまだ現役ですが2022年3月をもって定期運用を失い引退も秒読みという状況です。

1800系1819Fのラストラン

  6050系

1985年に登場し6000系からの更新車と完全新造車の2種類が存在する6050系。長年浅草~日光・鬼怒川・会津間の快速列車として活躍してきたものの2017年快速列車廃止に伴い活躍の範囲を南栗橋以北に狭めます。そのなかで余剰になった更新車が廃車になりましたが20400型が日光線新栃木以北に進出すると更新車の廃車が進みました。

そして2022年3月をもって東武線から姿を消すことになります。すでに南栗橋~新栃木~東武宇都宮間で始めていた20400型によるワンマン運転を拡大し、日光線の北側と鬼怒川線でもワンマン化することになりました。さらに会津鉄道ではこの改正で会津高原尾瀬口~会津田島間の普通列車の電車運転を取りやめ、つまり6050系の会津鉄道乗り入れも廃止されました。これを機に6050系が更新車、新製車関係なく一気に大量離脱し、新製車にも廃車が出ています。2022年5月現在6175Fが同年2月に廃車となったほか野岩鉄道所属の61101Fと会津鉄道が保有する唯一の電車、61201Fが廃車となりました。特に61201Fの登場が1990年と結構新しめの車両で32年の命でした。新造車も80年代後半と東武の車両としては早い段階で役目を終えることになります。

まあここで「野岩鉄道と会津鉄道所属の6050系って東武の車両じゃないじゃん」というつっこみは入るかもしれませんが見た目も中身も6050系なうえ東武線に走ることも当たり前のようにあったので東武線の車両として取り上げさせていただきました。

 

 

  番外編:5070系

 

これは車体更新車のため番外編とさせていただきます。5000系(5000系/5050系/5070系)は7800系の主要機器を流用し車体を新製したグループになります。特に後期に登場した5070系5178F以降は同時期に10000系がおり、車内設備に8000系のみならず10000系に準じたものが使われています。

5070系は全車両6両固定で登場し当初は東武伊勢崎線、日光線でも走っていましたが最終的に野田線全車両配置されました。

このように上半身に当たる車内設備は当時の最新のものをふんだんに使った5070系ですが下半身は7800系の吊りかけ駆動です。もちろん年には勝てません。そして5000系列の淘汰は意外にも後期に登場した5070系から始まります。5000系列の最初の廃車は5173Fで2001年になります。その後所属している野田線のスピードアップのため8000系が流し込まれ5070系は2004年に引退することになります。6両で作られてため5000系や5050系のように支線に回すことができないことがあだとなり車体に関しては20年足らずで役目を終えることになりました。5000系列のなかで特に5070系が短命だったため5070系をピックアップしました。

 

 

まとめ

このように東武鉄道には短命で終わってしまった車両がいくつかありました。個人的な印象としては使える車両はひたすら長くこき使うけど出番がなくなった車両は古かろうと新しかろうとどんどん首を切っていくというのが東武の印象です。

2022年、10030型の廃車に驚きや疑問の声がありましたが早期に廃車になる車両が出ることは今に始まったことではないようです。