その14(№5828.)から続く

今回は、「帰ってきた『はくたか』」のお話。

平成9(1997)年3月、北越急行ほくほく線が開業しました。この路線は上越新幹線と北陸地区との連絡を見込み、高速運転が可能な高規格路線として建設されています。
開業後早速その狙いは生かされ、ほくほく線を経由して越後湯沢-金沢・福井・和倉温泉間を結ぶ特急列車が運転を開始しました。その特急列車に名付けられたのが「はくたか」です。列車名としての「はくたか」は、昭和57(1982)年11月に廃止されて以来、実に15年ぶりの復活となっています。
「はくたか」は、実質的には前日まで長岡と金沢などの間で走っていた「かがやき」をほくほく線経由で越後湯沢に振り向けたもので、車両も前日まで「かがやき」で走っていた485系がそのまま転用されました。元「かがやき」用の485系はJR西日本の所属でしたが、JR東日本でも1編成だけ、3000番代リニューアル車による編成を用意、こちらはJR西日本の車とは内外装の意匠が全く異なっており、趣味的な興味の対象となりました。さらに、一部の列車にはJR西日本の681系が投入され、この系列が後の683系とともに「はくたか」を支えることになります。
681・683系にはヘッドマークがありませんが、485系にはありますから、運転開始に伴い「はくたか」のイラストマークが用意されました。当時の鉄道趣味界では、昭和57年まで運転されていた「はくたか」のマーク、つまりスカイブルーの地にデフォルメされた白い鷹が羽を広げている姿のそれが復活するのではないかといわれたものですが、実際にはそうならず、新たにデザインされたものが用意されました。それは、赤紫色の地に、白い鷹が翼を広げているもの。それも国鉄時代とは異なる、ぐっと流麗なデザインになっています。
なお681・683系の名誉のために付言すれば、「はくたか」に充当される車両は、高速走行に対応していること、走行時の気圧変動が新幹線以上に大きいことなどから、車体に新幹線と同じような気密構造(客用扉を内側から押さえるなど)を採用しており、「サンダーバード」などに使用される車両とは、番代区分こそなされなかったものの、運用は厳然と分けられていました。後に683系4000番代、通称「ヨンダーバード」が「はくたか」の代走運用に入った際には、最高速度がほくほく線内130km/hに抑えられ、所定ダイヤよりも数分の遅れが見込まれていました。

「はくたか」登場により、これまで寂しかった上越国境の鉄路に、昼行特急列車が帰ってきたことになります。とはいえ、上越線の走行区間は越後湯沢-六日町間の僅かなもので、それも六日町に停車する列車は上下1本しかありませんでしたが、それでもこの区間を疾走する「はくたか」の姿は、上越国境に特急が帰ってきたこと、「上越特急劇場、未だ終わらず」を印象付けるものとなりました。

「はくたか」といえば、JR東日本の485系3000番代、時折代走した489系ボンネットスタイル、さらには北越急行仕様の681・683系「スノーラビット」が、特に印象深いものがあります。

【485系3000番代】
JR東日本では、前年登場した「はつかり」用編成のリニューアル工事に倣い、ほぼ同様のメニューで改造を施した編成を1本用意、「はくたか」に充当しました。この編成は、JR西日本がグレー・ブラウンを基調とした落ち着いた色合いであるのに対し、白と青色のツートンにエメラルドグリーンのブロックパターンが配されるという、JR西日本車とは全く印象が異なるカラーリングとなりました。またヘッドマークも幕からLEDとされ、「はくたか」のイラストがLEDで表示されていました。
しかし、485系はほくほく線内の高速走行ができず681系使用列車と所要時間の差が生じていたこと、681系に比べ車内の居住性が劣るなどの理由により、485系使用列車は順次681・683系に置き換えられました。まずJR西日本の485系が平成14(2002)年に撤退、その後もJR東日本の3000番代は残ったものの、その3年後の平成17(2005)年に「はくたか」運用を退きました。

【489系ボンネットスタイル】
当連載で「北陸」を取り上げた際、急行の「能登」が14系客車から489系電車に置き換えられたことに触れていますが、その後489系は、「白山」用のオリジナルカラーからワインレッド+クリームの国鉄特急標準カラー(ただし雨樋部分はワインレッドではなくクリームのままとされた)に改められ、ボンネットスタイルの先頭車とも相まって、鉄道趣味界からの注目を集めるようになりました。
とはいえ、「能登」の走行シーンは早朝・深夜に限られ、上越国境を通過する際には真夜中ですから、走行写真を撮影することはほぼ不可能でした。そこで、「はくたか」の代走が大いに注目されたわけです。勿論、代走に当たっては、ボンネットスタイルの先頭車に適合する「はくたか」の大きなマークが用意され、それが先頭を飾って上越国境を疾走する姿は、まさに往年の「特別急行」の貫禄十分。多くの愛好家が、上越国境に撮影のために出撃したことは言うまでもありません。
ただしこの489系の代走、喜んだのは愛好家だけで、一般の乗客にはどちらかといえば迷惑なものであったようです。というのは、681・683系のような高速運転ができないため、所定のダイヤよりも遅延を余儀なくされるから。それでも「ヨンダーバード」のような新しい車両であればまだしも、当時の489系は普通車・グリーン車ともくたびれきった内装だったから。それに静粛性にも劣るとなれば、そりゃ乗客がありがたがらないのは当たり前の話です。

【スノーラビット】
平成17年、「はくたか」からの485系の完全撤退と引換えに投入された車両。身なりは681系ですが、北越急行の所属車両とされ、カラーリングもJR西日本のそれとは異なっていました。そのカラーリングは、白地に臙脂色の帯を巻いた流麗なもので、「スノーラビット」の愛称をいただいています。後に「スノーラビット」は、681系だけではなく683系も投入されています。
当初は「スノーラビット」だけで基本・付属の両編成が揃えられていたものですが、後にJR西日本車とも混結されるようになると、編成美こそ失われたものの、その不統一ぶりがかえって愛好家の興味を引くことにもなりました。
なお、「スノーラビット」編成は、平成27(2015)年3月の「はくたか」の上下最終列車に、基本・付属とも揃えた「清一色」の編成で充当され、有終の美を飾っています。

このようにして、上越国境に覇を競った「はくたか」でしたが、平成27年3月の北陸新幹線長野-金沢間開業に伴って廃止されました。「はくたか」の名前は北陸新幹線に移り、これで在来線特急としての「はくたか」は2度目の廃止となりました。と同時に、「鳥海」臨時格下げ以来、上越国境に12年ぶりに帰ってきた昼行特急列車が、18年で消えることにもなりました。
越後湯沢発着の「はくたか」の歴史は18年、その前身だった「かがやき」の歴史は僅か9年で閉じられました。しかし、これらは揃って新幹線の愛称に転身。新幹線に「出世」できたのは、「かがやき」「はくたか」両者の在来線特急時代の功績が非常に大きかったことの証左だと思います。

次回は最終回。上越特急劇場が残したもの、その歴史的意義を考えてみたいと思います。

その16(№5840.)に続く