2022年は東北・上越新幹線が開業して40年という節目の年になります。東北や上信越方面へのアクセスが飛躍的に向上したのは言うまでもありませんが、新幹線が通るということは同時に、並行する在来線の優等列車に何らかの影響が及ぶということになります。東北新幹線が開業した6月23日のダイヤ改正は暫定開業ということもあって、それほど大きな増減はなかったのですが、上越新幹線が開業した11月15日のダイヤ改正はさすがに大鉈が振られ、上野駅を彩った特急や急行は一部を除いて廃止や運転区間の変更を余儀なくされます。新幹線の影響をあまり受けない信越方面や常磐方面は逆に増えたりしましたが、上野駅の歴史が変わったのは明らかな史実になります。

「北の玄関口」として多くの人で賑わった上野駅ですが、今は駅の佇まいに昔日の面影を辛うじて残しているに過ぎず、行き交う列車についてはもはや往時を偲ばせる痕跡は感じません。って言いますか、もはや上野駅は「北の玄関口」で無くなってしまいましたからね。

 

そこで今回は「東北・上越新幹線開業40周年」を記念して、新幹線開業前の上野駅がどれだけ凄かったのかを時刻表スタイルで数回に分けてお届けします。残念ながら、列車の画像はありませんが、お手持ちの485系、583系、165系列、455系列、EF58、旧形客車などの写真、あるいは模型を眺めて「こんなに踵を接していたんだ」というのを感じていただければ幸いです。

で、時代的には列車も車両も一番賑やかで、エル特急やブルートレインがアイドル並みの人気を誇っていた1979年に絞り、さらに年末輸送の最ピークで臨時列車が多数設定された12月31日に限定したいと思います。

 

 

上野駅の1日は4時台から始まります。

さすがに出発する列車はありませんが、夜行列車が数本到着します。 “臨急” というのは臨時急行のことで、多客時になると設定されていた列車。 “臨特” は臨時特急になります。行く先や発駅の隣に記した数字は発車・到着番線を意味します。この頃は一部の例外を除いて、上信越方面が高架ホームを、東北方面が地平ホームをそれぞれ使っていました。今、地平ホームから発着する列車は風前の灯火状態だと思いますが、この頃は高架も地平も常に列車がいたということになります。

 

 

5時台になると、東北線(宇都宮線)や高崎線、あるいは常磐線の始発列車が出発して行きます。長岡や仙台といった長距離普通列車もまだ健在でした。長岡行きは電車ですが(53.10改正までは客車だった)、常磐線経由仙台行きは紛れもなく客レです。

夜行列車到着ラッシュが本格化していきます。

急行「出羽」は、酒田発上野行きの列車なんですが、羽越本線・上越線経由かと思ったらさにあらず、で、陸羽西線と奥羽本線を経由して上野に向かう列車。ゆえに気動車列車になります。夜行のディーゼル急行はちょっと厳しいな。でも、よく考えてみると、今の夜行高速路線バスの主流はディーゼルエンジンなので、そう考えれば・・とは思いますけど、寝れたのかな?

 

 

6時台になると、優等列車の下り便も続々と運転を始めます。

電車急行は単独列車というのはあまりなくて、途中まで異なる列車がくっついて走る、いわゆる「多層階列車」が一般的でした。

特筆は6時ちょうどに寝台特急の同時到着が見られること。同時出発も同時到着も上野では至極普通の光景ですが、寝台特急同士が同じ時間に到着するのは圧巻の一言。でも、鶯谷辺りで撮ろうと思ったら、被るのは必至です。

 

今回は東北・高崎・常磐線の列車を取り扱いましたが、これに山手線、京浜東北線、常磐線快速が加わります。残念ながらその時刻表がありませんので、ここには掲載できませんが、掲載したらさらに凄いことになりますよね。

こんな感じで終列車までお付き合い願いたいと思います。