江戸川教育文化センター

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日本の鉄道に次の150年はあるか?

2022-04-27 | 随想
先日、ブラタモリが「日本の鉄道」を取り上げていた。
今年が、あの「汽笛一声新橋を」から、150年目の節目となるので、これまでに番組が取り上げた「鉄道ネタ」の総集編的な番組が放送されたわけだ。
(コロナでロケに行くことが難しいという裏事情もあるかもしれないが)


確かに「150年でよくぞここまで発展したものだ」と言えるが、自分は、鉄道の未来について「このままではダメだ」と悲観的になってしまう。
その理由を述べてみたい。


日本の鉄道は、首都圏などの大都市圏における通勤・通学輸送と、それぞれの主要都市を結ぶ都市間輸送をになっている。
また、量的には少ないもののコンテナやオイルタンクなどによる貨物輸送もある。そして、一番大きな特徴は、鉄道輸送を担うのはほとんど「民間企業」だということだ。

今、全ての鉄道会社が経営の壁にぶつかっていると言っても過言ではない。
コロナになる前から、少子高齢化の進行で労働人口や学生数が減ってきたことにより、乗客が減ってきた。
特に、地方都市や過疎地域の鉄道はこの打撃をもろにかぶっている。
高校の通学時間が終われば「空気輸送」になってしまう路線も少なくないという。
首都圏でもそうだが、通勤や通学需要はある時間帯に集中する。


鉄道会社はそれに対応するように鉄道施設〈車両や線路)を充実させてきた。
例えば車両数を増やしたり、線路を複々線にするなどだ。
首都圏の場合、複々線化工事は何十年もかかってしまうことが多い。


例を挙げれば小田急線の代々木上原~登戸間だ。
やっと工事が完了したら、少子化とコロナの波が直撃している。
今年3月の「ダイヤ改正」では、ほとんどの会社(JRを含む)減便や編成数の縮減が行われているのである。


もう一つは、2000年代から顕著になった自然災害の頻発だ。
つい先月も東北地方で起きた地震のために、東北新幹線のみならず東北本線も不通となってしまった(関係者の努力で、当初より早く復旧したが)。
各地での災害、特に水害によって橋脚や路盤が流失し、未だに復旧できないでいる路線も少なくないのだ。

それでなくても、経営状態が苦しい地方鉄道にとっては復旧のための工事を断念して「廃線・廃業」すらありえる話になってしまう。
もちろん、国や自治体の補助は少なからずあるだろうが。
橋脚や盛土や高架橋を復旧させるためには、莫大な資金が必要なことは言うまでもなかろう。


さらに厄介なのは「新幹線」の問題だ。
現在、函館北斗どまりの北海道新幹線が、札幌まで延伸されるが、それに伴って、函館本線の長万部~余市間(いわゆる山線)が廃止されてしまう。

これは、新幹線が開通すると並行して走っている在来線をJRから切り離して第三セクター化するためだ。
JR北海道が新幹線と在来線の両方の経営を担うことが難しいためだ。
このため、新幹線が通るたびに、第三セクターの鉄道会社が増えていくことになる。そして、小さな鉄道会社ほど、災害等のリスクには強くない。


他方住民の目から見ると、地方鉄道は「生活の足」ではあるが、運転本数が少ないローカル線は自動車に比べて不便なので、利用者は限られてしまう。
だが、高齢者の交通事故が多発していることを考えると、いつまでも自動車に頼った生活が成り立つとは限らない。

根本的には、人びとの生活を担う「交通網」について、グランドデザインがないことが問題なのではないか。

太平洋ベルトエリアを除いて鉄道施設は国有にして、運営だけ鉄道会社が担う「上下分離」を取り入れてはどうだろう。
この方式はヨーロッパ諸国では多く取り入れられているらしいが。


「新幹線延伸だ!リニア開業だ!」などと浮かれずに、日本の鉄道の「次の150年」が、しっかり見通せる政策を求めたい。
〈2022/4/26)


-K.H-


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