東高野街道を行く(枚方市後編) | としのブログ

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磐船街道との出会いと山根街道との再会


少し賑やかな地図です


B17  右手の民家の方にカーブしていたと思われる。


B18  国道168号線との交差点(新天野川橋)を真っ直ぐ進み橋を渡ります、横切る国道168号線は、磐船街道と言う歴史街道で、京阪電車枚方市駅の西側の「宗佐の辻」で京街道と別れ、天野川沿いに進み、交野を通り、磐船越えで生駒に入り、清滝街道に合流し奈良に向かう街道である。


B19  天野川を渡って直ぐに左折します。


B20  左手に天野川を見ながら南下します。


B21  真っ直ぐ進みます。


B22  この交差点を左斜めに進みます。



B23  矢印の方向に進みます。





B24  正面の細い道を進みます。


B25  本尊掛松地蔵尊があります。



1321年(元亨元年)大阪市平野区の大念仏寺を総本山とする融通念仏宗の中興法明上人が、男山八幡の霊夢を受け、大阪は深江の法明寺から男山に向かう途中、当地で同じ霊夢によって天得如来を奉じて深江に詣でる途中の八幡宮よりの使者の小川伊高に出会い、十一尊天得如来の画像を授けられた。

 法明上人は歓喜のあまり尊像を傍らの松に架け、称名念仏を唱え踊りだしたという。これが融通念仏宗の念仏踊りの始まりとされされている。
 「本尊掛松」の名はこの画像をかけたことに由来し、「ほととぎす松」とも言われるのは、ほととぎすの鳴き声が「ホンゾンカケタカ」と聞こえることによる。



かなり古い石碑で、本尊掛までしか見えない。



また街道を進みます、周りは住宅街になっています。


B26  すぐにY字に出ます、多くの道標や石碑が建っています。



左から来るのが東高野街道、右から来るのが山根街道です。


大正末期の地図です、周りに何も無いですね、東高野街道、山根街道、磐船街道の三つの歴史街道が顔を合わせる場所です。



右手の大きな石碑には、大峰山道の文字があります、もちろん紀伊山地の信仰の山ですよねー、ここから何kmあるんでしょうね。

そして同じ石碑にはあるのは右 宇治、左 京八幡ですかね。

小さな石碑には、右 山根街道私部 左 東高野街道京道とあります。


小さな石碑の裏側は、すぐ東高野街道星田停車場と読めます、もちろんJRの星田駅ですね。


この面には、すぐ高野 大坂道とあります。


享保十乙巳年三月廿四日とある、お地蔵様です。


B27  コーナンの横で府道20号線に合流します。


B28  東高野街道は第二京阪道路の斜め向こうに向かっています。


B29  第二京阪道路の反対側から見ますが、立木でよくわかりません。


振り向きました、東高野街道は真っ直ぐ南下します。


B30  車が一台通れるぐらいの街道らしい道幅ですね、ここから枚方から交野に再び入ります。


B31  鉄工会社で行き止まりになります、反対側に回って見ます。



民家との間に少し段差があります、昔の街道らしいですね。



B32  先程の鉄工会社と更に新関西製鐵(株)と言う会社で途切れますが、正面の門付近からこちらに向かって東高野街道は続いていたと思われます。


B32で振り向きました、左手が府道20号で、東高野街道はここを右手に行きます。


新仏道しるべ地蔵と呼ばれるお地蔵さんがあります。


B33  墓之前橋石仏と呼ばれる石仏があります、この右奥に星田墓地があります。

確かここが歴史街道だと物語っていますね。


B34  やはり道幅が街道らしい幅で続いています。


次の交野市後編につづきます。