40年前の1982年、僕は大学3年生。相変わらず鉄チャン三昧の日々だったが、この年はどうしたわけか地方ローカル私鉄を訪ねることが多かった。それ単独で訪ねるというより、国鉄撮影の合間に立ち寄ることが多かった。

 

名鉄揖斐•谷汲線には5月に訪れた。

345M(大垣行き)に乗り豊橋で下車、早朝の飯田線南部で撮影し、豊橋に戻ってEF58や豊橋鉄道の車両を撮ったり、愛知御津や西小坂井で留置中の153系を撮ったりした後に岐阜にやってきた。

当時の手書きメモとモノクロネガの順番からすると、13時過ぎに新岐阜から乗車し、黒野を経由して赤石で下車したようだ。近くに根尾川が流れる長閑な集落だった。

↓根尾川の清流に沿って赤い電車が進む。

↓赤石駅に進入する電車

ここで数本の列車を撮影し黒野に戻るべくやってきた電車に乗り込んだ。真っ赤な外観とは裏腹に渋い色合いの車内では地元客がおしゃべりに夢中でいい雰囲気だった。天下の名鉄の路線にもかかわらずタブレット閉塞であることにも驚いた。

↓タブレットを駅長に渡そうとする運転士

↓揺れる車内で会話もはずむ。

黒野には車庫があってホームから停車中の車両たちを撮影した。そして、日が傾いてきた頃揖斐線の下方で降り、根尾川に架かる長い鉄橋で夕陽を受けて走る赤い電車を何本か撮影して締めた。

↑↓西陽を受けて長い鉄橋を渡る。

その後は再び揖斐線で終点の本揖斐まで乗車、歩いて揖斐まで行き、そこから近鉄養老線で大垣に出て、340Mで東京に帰った。0泊3日の弾丸ツアーで、名鉄揖斐•谷汲線はわずか半日の滞在であったが、沿線風景が気に入った僕はその後も何度か同線を訪れることになった。