厳密論じゃないですけどね。(笑)

でも、今に通じる “新快速らしさ” を発揮したという意味では、「今年が50年」と表現しても過言じゃないのでは? と思います。

 

前述の、 “厳密論” を適用するなら、今年は「新快速登場52年」になりますが、当初はしょーもないくらいに酷評だったと聞きます。「誤算が誤算を生んだ結果だったとしか言い様がない」と言われてしまえば、素人は納得せざるを得ないのですが、実は新快速が本来の意味で言う “本領発揮” は国鉄末期、いや、JRになってからだと言う人は少なくありません。

国鉄大阪鉄道管理局が思い描いた青写真通りに事が運んだと仮定したならば、その後の新快速はどうなったのでしょう? 逆に言えば、「国鉄時代の不遇があったから、新快速は飛躍した」という論も正しいと言えば正しいし、とにかく、新快速に関しては様々な論者の主義主張が入り乱れているのは事実です。でも、今やJR西日本のドル箱列車であるのは間違いないし、大阪圏内になくてはならない存在だというのも解ります。

 

阪和線の新快速は、「対南海」を前面に押し出した列車でしたが、 “消えた” ということは、「阪和線では必要無かった」のと、「南海に太刀打ち出来なかった」の二者択一が考えられます。

「必要か否か」というのは、東京人には解り得ぬ領域なんですが、今の「紀州路快速」って、日根野から先は各駅停車になっちゃうんですよね。私も1回だけ乗ったことがありますが。あれはかなり苛立った。

 

「対南海」はどうでも良いからさ、大阪と和歌山を短時間で結ぶ列車を設定してくれっ!」

・・・って言ってますけど、需要ってあるのかな?