省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

オーソドックスな原形クハ47 身延線 クハ47006

 今回は身延線の中で極めてオーソドックスな原形のクハ47です。全面窓は豊川分工場での更新修繕IIですべてHゴム化され、また前面に快速表示器も備えたタイプです。クハ47005も同じ外観ですので、車号が読み取れないと区別は困難です。

 サハ48から改造されたタイプとの違いは、前面ワイパーが2基揃っていることと、トイレが3位側に設置されている点です。

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クハ47006 (静ヌマ) 1977.9 富士電車区

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クハ47006 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

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クハ47006 (静ヌマ) 1981 富士電車区

クハ47006 (静ヌマ) 1976.4 富士駅

 こちらは、1-3位側の写真です。電柱と信号機が邪魔ですがこのサイドはこの写真しかありませんので... 客用扉の形状は2-4位側と同じです。また室内はニス塗りが維持されていました。

では、本車の車歴です。

1931.3.5 日本車輛製造 東チタ → (1951頃) 静フシ → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.10.19 廃車 (静ヌマ) 

全検 49-9 大船工

 本車はモハ32系の一員として、1931年に製造され横須賀線用として使用されました。当初は全車偶数(下り)向きだったようです。1951年からの70系の投入およびモハ32の地方転出に伴い、制御車不足でともに身延線に移動しました。はっきりした転属データが手元にありませんが、おそらく1951年の秋から遅くても52年の初めまでに富士区に転出したはずです。その際、静鉄の制御車は上り向きにするという方針を受けて、奇数向きに方向転換されます。トイレは、1952~3年ごろ豊川分工場で設置されたものと推定されます。そのまま約30年間身延線で使用されました。明確なデータが手元にありませんが、おそらく横須賀線時代の1950年に大宮工機部で更新修繕Iを、そして1957年度中(1957~8)に豊川分工場で更新修繕II を受け、前面樋の曲線化、運行灯の設置、運転台全面窓のHゴム化が施行されたものと思われます。また快速表示器も設置され、1957~64年にかけ快速運用にもついていました。

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