所有事業者:弘南バス(青森)

仕様・用途:都市間夜行高速路線仕様

         (高速「ラ・フォーレ」号に充当)

登録番号:青森22 か ・515

社番:30104-6号車

配置:青森営業所

初年度登録:1989年

シャシー製造:三菱自動車工業

搭載機関:三菱8DC11型

車体架装:三菱自工名古屋

車両型式:P-MS729SA

車名:三菱ふそうエアロクィーン・M

撮影日:1991年4月2日(火曜日)

撮影場所:東京駅八重洲口

 

 

HP上での公式発表はまだのようですが、6月にトミーテックの「バスコレ」に “パンダエアロ” こと、三菱ふそうエアロクィーン・Mが加わります。

ラインナップからすると、おそらくP-MS729Sがプロトタイプとなるようですが、京浜急行電鉄や東京急行電鉄、京王帝都電鉄、小田急バス、JRバス関東、西日本JRバス、阪急バス、川中島バス、広島電鉄、日本交通、九州旅客鉄道がラインナップされるそうです(京急、京王、東急、小田急、川中島バス、JR九州はいずれも当時の事業者名)。

私にとって今回のラインナップはまさにドストライクで、 “青春” そのものだったりします。小田急と広電で「ニューブリーズ」、東急は「ミルキーウェイ」、JR関と西Jは「ドリーム」が再現出来ますね。

 

そしてもう1社、青森の弘南バスもラインナップされていますが、P代であれば、画像の車、もしくは僚車がプロトタイプとなると予想しています。

「ノクターン」号のカラーデザインですが、実はこれ、「ノクターン」ではなくて、青森駅と東京駅を結ぶ夜行高速路線バス「ラ・フォーレ」号に充当されている時のもの。というよりかは、事実上、「ラ・フォーレ」の専用車になります。配置も弘前営業所ではなくて青森営業所ですしね。

 

私の記憶が確かならば、「ラ・フォーレ」は、「ノクターン」人気でチケットが取れない乗客のための救済措置で設定した路線だったと記憶しています。オンシーズンでもないのに、常に3~4台を連ねている定期便の「ノクターン」。盆暮れになると、貸切車も応援に駆り出して対応していました。加えて、この当時は青函トンネル開通に便乗した青森ブームとあって、青森は束の間の大盛況。「ノクターン」人気はさらに高まります。ただ、「ノクターン」は弘前までしか行かないため、青森の中心部へ行くには弘前からバスか電車を乗り継ぐしかなく、青森そのものへ行きたい人にはやや不便でした。そこで、「ノクターン」を運行していた弘南バスと京浜急行電鉄(当時)はJRバス(関東と東北)を巻き込んで青森駅まで乗り換え無しで結ぶ夜行高速路線バスの運行を企画、開設されたのが「ラ・フォーレ」でした。時に1989年7月のこと。

 

前述のように、運行開始当初の「ラ・フォーレ」は、東京側が京浜急行とJRバス関東、青森側が弘南バスとJRバス東北でした。それぞれ専用車両を宛がいましたが、何故か京急と弘南は「ノクターン」のデザインを纏っていたのです。風の便りで聞いた井戸端会議によると、「これは「ノクターン」じゃないけど、「ノクターン」に乗った気分になって欲しい」という意味合いが込められている」とのことでした。「ホントかよっ!? ネタじゃないの?」って言いたくなりましたけどね。

 

これで思い出すのは、1989年11月。

品川から横浜を経由して名張へ向かう「いが」号が運行開始した際、京急便を撮るべく、今は無き品川バスターミナルへ行った時のことです。エアロクィーン・Mであるのは間違いないんですが、それまで路線毎にカラーデザインを変えていた京急の夜行高速路線バス、「いが」はどんなデザインなんだろうとワクワクしながら第一京浜を南下し、品川に向かいました。到着後、程なくして「いが」の京急便が到着したのですが、現車を見て愕然。「キャメル」号と同じカラーデザインだったのです。後に京急の夜行高速路線仕様共通(標準)のデザインになる白地に赤と黄色と青の波線模様は元々、「キャメル」専用カラー。今になって思えば、「いが」から独自のデザインを止めて、共通のデザインにしたんでしょうけど、当時はそれを知らず、「京急め、手抜きしやがったな」と憤慨しながら帰宅したその途上です。乗客を降ろして車庫に向かう「ラ・フォーレ」の集団と邂逅したのですが、そこで初めて「ラ・フォーレ」が「ノクターン」のデザインを採用したことを知りました。

当時の記録には「BT(品川バスターミナル)の横を「ラ・フォーレ」が通り過ぎた。これぞまさしく「史上最大の期待外れ」、車両は「ノクターン」と共同使用!」と記述してあるので、帰宅途上ではなくて、品川で見かけていたことになりますね。

バスコレの京急はおそらく、その「いが」に充当した車か、「ベイブリッジ」号に充当した車かのいずれかだと思われます。

因みに、「ノクターン」にAQMが導入されるのは1990年代に入ってからと記憶しています。当時はスーパーエアロが主力車種でしたからね。

 

それで、「ラ・フォーレ」というか、「ノクターン」カラーのAQMを撮りたくて、何回か大鳥居にある観光バスセンター(今の京浜急行バス羽田営業所)を訪れたんですが、いつ行っても「ノクターン」カラーのAQMがいない。そういえば、「いが」も「ビーム1」も大鳥居で見かけたことはありませんでした。後から判ったことなんですが、これらは大森営業所が管轄していたんですね。その頃は大森であることなど1ミリも想像せず、現場の方にも聞こうとはしませんでした。

 

「ラ・フォーレ」はその後、いくつかの変遷を経た後、2009年にJRバス関東、2010年に京急(当時は羽田京急バス)と、東京側の運行事業者が相次いで撤退し、青森側2社が運行を継続していますが、JRは「ドリーム青森・東京」号と名を変えて、ついで的に「ラ・フォーレ」の名を残しています。そして弘南は2010年に「津輕号」と名を変えました。行程は青森-東京間ながら、JRの方はディズニーランドまで足を延ばすのに対し、「津輕号」は青森フェリーターミナルを経由しています。また、JRはバスタ新宿は経由しないのに対し、「津輕号」はバスタを経由します。

 

「いが」、「ノクターンカラーのAQM」を思い出す度についつい口ずさんじゃうのがTM NETWORKの「FIGHTING」という曲。あれからこの曲を夜明け時に聴くことを決めました。

 

 

【参考文献・引用】

ウィキペディア(ラ・フォーレ号)