味わいはあまりないけど、若干、セピア色がかっているのがまた良かったりします。
国鉄末期~JR黎明期にかけて一世を風靡した団体用車両「ジョイフルトレイン」。その嚆矢になったのが東京南鉄道管理局の欧風客車「サロンエクスプレス東京」になります。
それまでの団体用車両といえば、車内を畳敷きにした「お座敷列車」とも言われた和式客車で、旧形客車から改造されたもの、あるいは12系客車を改造したものがありましたが、和式客車はどちらかというと高齢者向けであったのは否めません。そこで、若年層をターゲットにしようと、コンパートメントを中心にした洋風レイアウトに仕立て上げたのが欧風客車で、「サロンエクスプレス東京」は昭和58年に登場しました。同時期に大阪鉄道管理局には「サロンカーなにわ」が登場しています。
欧風客車はたちまち大ヒット御礼となり、オファーが殺到しました。
団体用車両は文字通り、団体予約でないと乗れない車両なんですけど、これに一般利用者が乗れるチャンスが訪れます。臨時列車ではあるけど、特急や急行への充当です。その代表格と言えるのが「サロンエクスプレス踊り子」ではないでしょうか。
昭和56年に運転を開始した特急「踊り子」に充当された185系電車は、鉄道マニアには不評だったけど、一般利用者からは斬新なデザインが受けてすぐに人気列車になりました。行き先が温泉地ということで土休日になると本数は増え、運用に就く185系や183系では不足気味で、フォロワーとして田町電車区で暇を持て余していた167系を使った臨時快速も運転されたりしましたが、それでも間に合わなかったので、ついに品川客車区の波動用14系客車を使うことを決断します。
昭和57年の暮れから伊東行きの臨時便に14系を充当したのが客車の「踊り子」の始まりですが、ホスピタリティは183系とほぼほぼ同一なので、185系よりかは幾分、豪華な気分に浸れます(翌年から伊豆急にも入線)。そして何よりも終焉間近いEF58が牽引したことが一番大きな話題だったりします。臨時便とはいえ、ゴハチが牽く特急ですからね。「サロンエクスプレス踊り子」はその延長線上に当たります。
「サロンエクスプレス東京」は団体列車として伊豆急行に足繁く入線していましたけど、同車が登場した2ヶ月後に「サロンエクスプレス踊り子」の運行が始まります。ここでも東京機関区のEF58が先頭に立ち、沿線には多くの撮り鉄が集まりますが、中でもお召し機の61号機が牽引する時はその数はさらに増えたと思います。「EF58 61+サロンエクスプレス東京」の組み合わせはその当時の被写体No.1だったと思われます。59.2改正時におけるEF58の撤退後はEF65PFがその後を引き継ぎますが、やはりゴハチには敵いません。ゴハチ撤退とは言っても、61号機は残ったので、撮り鉄は61号機が充当される時だけ出没することになります。
画像はEF65PFが牽引する「サロンエクスプレス踊り子」ですが、牽引機は東京機関区配置機ではなくて、新鶴見機関区配置機。普段は首都圏で貨物列車を牽くのが日課の、ある意味地味な機関車なんですが、当時の東京機関区に配置されるPFはブルートレイン牽引が日課。検査等の絡みで時折、新鶴見配置機にオファーがかかることがありました。だから、普段はお声がかからない客車列車の牽引、しかも人気絶頂のジョイフルトレイン、さらにさらに特急列車とあれば、PF自身もテンションも上がるでしょう。因みに、東京機関区配置機で何らかのトラブルが発生した場合でも新鶴見配置機に白羽の矢が立つことがありました。
私も「踊り子」には何回か乗ったことはありますが、さすがに客車の「踊り子」には乗ったことが無く、ましてや「サロンエクスプレス踊り子」は全く縁がありませんでした。下田へは自家用車での移動が基本なため、電車での移動が極めて少ないからに他ならないわけですが、こういうチャンスをみすみ逃していたんですね。ただ、「サロンエクスプレス東京」は全車がグリーン車なので、あの当時(中学生から高校生)のお小遣い事情から考えれば、乗るのは無理だったとは思いますけどね。
【画像提供】
タ様
【参考文献・引用】
名列車列伝シリーズ⑫「「特急踊り子」&JR東日本の新型特急電車」 (イカロス出版社 刊)