西国街道を歩く(箕面桜井~箕面萱野) | 鉄道で行く旅

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今回は箕面桜井から箕面萱野まで西国街道沿いに歩きました。

(撮影日は2022年4月9日でした)

阪急電車の大阪梅田駅から石橋阪大前駅まで宝塚線急行に乗車しました。

 

石橋阪大前から阪急箕面線に乗り換えて桜井駅で下車しました。

 

桜井駅で撮影した箕面線の6000系です。

 

阪急桜井駅(箕面市)の駅舎です。

 

阪急桜井駅前付近の西国街道です。ここから萱野を経由して北大阪急行の千里中央駅まで歩きます。

 

旧街道らしい古民家が残っていました。

 

阪急箕面線の牧落踏切を渡りました。

 

箕面市牧落2丁目にある旧「牧落村」の高札場の跡地です。この場所は、西国街道と箕面・大坂道の四ツ辻に当たるため、古い道標が2つ残っています。

 

「みのをみち」の道標です。

 

はつとり 天神 二り   

大坂         四り半  

 

高札場跡付近にあった畳屋さんです。

俺の家は畳屋で 俺の親父は昔気質の職人肌の 今思たら ええ親父やったけど ・・・

♪三年間 頑張った 駅前通りの 畳屋で~

駿河学(笑福亭鶴瓶)の「酔い語り」からの引用です。

駿河学 酔い語り(タカつつ)

 

国道171号線が見えてきました。

 

国道171号線の歩道橋の上から見た牧落交差点です。国道171号線と府道43号線(豊中亀岡線)の交差点です。

 

国道171号線と別れて、再び旧街道に入っていきます。

 

「歴史の道」を進んでいきます。

 

旧街道らしい立派な屋敷です。

 

伝統的なデザインの民家もありました。

 

今回の目的地だった萱野三平旧邸に着きました。

 

赤穂藩士として、俳諧師として、その足跡を残した48人目の赤穂義士萱野三平の旧邸長屋門は、元禄の面影を今に残す歴史遺産として、大阪府の史跡に指定されています。

 

萱野三平旧邸の説明板です。

 

萱野三平記念館の開館時間は午前10時から午後5時です。

萱野三平記念館の休館日は月曜日(月曜日が休日の場合は火曜日)と12月28日~1月4日です。

 

萱野三平記念館「涓泉亭(けんせんてい)」です。この建物内に、萱野三平や西国街道に関する資料の展示コーナーや和室(要予約)を備えています。涓泉(けんせい)は、萱野三平の俳号です。

 

萱野三平の旧邸長屋門の内側です。

 

萱野三平(1675年-1702年)が自刃した長屋門の一室です。小さな「萱野三平の木像」が置いてありました。

萱野三平は、播磨・赤穂藩の藩士です。江戸で赤穂藩主の浅野長矩(ながのり)に仕えて中小姓になっていました。元禄14年に浅野長矩の刃傷事件が起こると、早水(はやみ)藤左衛門とともに赤穂へ急報しています。

三平は、大石内蔵助が率いる討ち入りメンバーに加わったものの、父・重利から他家への仕官を言い渡され、「他家に仕官すれば忠ならず。江戸へ下れば孝ならず」と板挟みに悩み苦しんだ後、これは切腹しかないと決断し、元禄15年1月14日に28歳で自刃(じじん)しました。

三平は、歌舞伎や文楽の「仮名手本忠臣蔵」の早野勘平のモデルですが、「仮名手本忠臣蔵」は実話とは異なるストーリーになっています。

 

萱野三平の辞世の句碑です。

晴れゆくや 日頃心の 花曇り  涓泉

 

萱野三平旧邸を後にして、千里川を渡りました。

 

北大阪急行電鉄の延伸区間の高架線です。

2023年(令和5年)度中に千里中央~箕面萱野間が開業する予定です。

 

新御堂筋に沿って千里中央駅まで歩いていきます。箕面船場阪大前にも北大阪急行電鉄の新駅が開業する予定です。

 

箕面市と豊中市の境界付近です。

 

北大阪急行電鉄の千里中央駅からOsaka Metro(大阪市高速電気軌道株式会社)梅田駅まで帰りました。

(おわり)