EF81形などの電気機関車の車両基地、JR東日本の田端運転所(東京・北区)。東北方面の列車が出入りする広大なエリアの一角。明治時代から120年以上の歴史を誇り、国鉄時代を知る方がその名を聞けば「田端機関区」になるかもしれません。

 

 

東海道・山陽本線を走るブルートレインに親しんだ私の場合、「田端」といえば元東京機関区のEF65形1000番台(PF形)が真っ先に思い浮かびます。後期型の1098〜1116号機は、1985(昭和60)年の同区の車両無配置化やJRへの移行措置の流れで田端に転入しました。

 

 

寝台特急「瀬戸」に充当されたEF65 1113。運転席窓下に田端運転所所属を示す「田」の区名札が見られました=東京駅、1998年

 

 

 

ただ、西に向かう寝台特急をメインに充当されていたこれらEF65は、90年代までは運用拠点となる東京・品川(東京機関区跡地)に常駐していることが多く、田端所属機の中では「分家」のような雰囲気でした。

 

 

それでも田端配置の期間は35年と、東機時代よりはるかに長く、西日本に住む私も「田」の区名札は「瀬戸」「出雲」「カートレイン九州」で何度も目にしたおなじみのアイテムでした…。

 

 

急行「銀河」をけん引して東京駅に着いたEF65 1115。特急色の機関車は区名札がよく目立ちます=2006年

 

 

 

田端運転所は4月から検修部門が尾久車両センターに移管され、車両基地としての歴史に幕を閉じました。「田」の区名札も見納めとなり、EF65PF形も同センター所属を示す「尾」に変わったようです。

 

 

自ら確認したわけではないのですが、鉄道ファンとしては何となく、37年前に東機の「東」の区名札が消えたときと同じ寂しさを感じます。JR発足から35年。国鉄形電気機関車の退潮とともに、時代の流れを思い知らされる話題となりました。