【35年前を再現】「旅立ちJR西日本」風の列車 | 金屋代かずおのお部屋

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周防大島町を拠点に鉄道旅行・鉄道もけいの活動を行っています.

(あれから35年)

 

本日2022/3/31で,国鉄解体から35年を迎えます.ローカル輸送サービスはこの35年で劇的に改善されましたが,窓口は明るく親切どころか窓口そのものがなくなってしまい,楽しい旅行は駅構内の施設を中心に行うものとなり,会社間を跨ぐと乗り換えが必要になり,運賃が高くなり,ブルートレインなどの長距離列車が新幹線を除きほぼなくなり,特定地方交通線以外のローカル線も次々と廃止されています.国鉄分割民営化とはなんだったのかという声もありますが,35年もあれば時代が変わるのです.当時は携帯電話・インターネットは一般的ではなく,高速バスも少なく,LCCは日本にはありませんでした.

しかし,「旅立ちJR号」運行などの1987/3/31の狂騒ぶりは記録に残るだけでも想像ができます.これを鉄道模型で再現しよう,ということが今回の記事の趣旨です.

今回の記事の主人公は「スハフ12 701」です.福知山運転所に所属して,主に気動車に挟み込まれて運用されていたこの車両は,突如として東京駅に送り込まれることになりました.

一部の窓には障子がはめられています.

12系ではありますがテールマーク「いこい」が用意されました.

(脱線させていますが,こうしないと車両が転がってしまいます.)

帯は黄色となり,編成中では異彩を放ちます.

この「スハフ12 701」はKATO京都駅店の特製品で,既存の製品をベースに塗り替え・表記変更・テールマーク印刷がなされたものとなります.窓割などはそのままですが,実際に「スハフ12 701」を的確に改造で再現するのはかなり大変であり,どのメーカーにおいても金型を起こして製品化することは難しいと思います.割り切って使うこととします.

その後「スハフ12 701」は「セイシェル」の「キサロ59 501」に改造されますが,やはり窓割が異なります.

 

展望車に「マイテ49 2」が使われていたのはこの列車の目玉でした.KATOにも旧仕様製品に「マイテ49」が含まれていますがここは現行仕様製品の「マイテ58 2」を使いました.室内灯も入れています.テールマークが「やまぐち」であるのは気にしないこととします.

このような編成を組んだ「旅立ちJR西日本号」は熱狂の渦の中,東京駅を出発しました.これだけでも当時の東京駅の熱狂ぶりが感じられる,というものです.

 

当時としては新たなサービスが増えるのではという期待感があったような気がしますが,実際(特に東海・東日本・西日本)は国鉄債務の早期解消,上場による株主への還元などに集中している印象があります.

関連動画

「旅立ちJR西日本号」を模した列車が登場します.