今月発売の『国鉄時代』5月号がDE10特集だったので、JR化後初のお召列車を牽引したDE10の写真をまとめて投稿したところ一部の写真を採用していただいた。この際なので、当時の撮影行の様子をこのブログでご紹介しようと思う。

 

国鉄が分割民営化されたのが1987(昭和62)年4月。民営化したからには新1号編成を使用したお召列車など走らないと巷ではまことしやかに言われていた。そんな中この年の5月に佐賀県で行われる全国植樹祭に関連してお召列車が運転されるとの情報が飛び込んできた。欣喜雀躍した僕らは早速撮影に行くための年休を取るべくそれぞれの職場で根回しを始めた。

運転日は5/24(日)が有田1522発ー西唐津1627着(松浦線•筑肥線経由)、5/25(月)が西唐津1045発ー肥前麓1220着(筑肥線•唐津線•長崎本線経由)。牽引はDE10 1209号機とのこと。1エンジンのDE10が全区間単機で牽引するというのに驚いた。エンジン不調があったらどうするのかと心配したが、小倉工場イチ押しのカマなのだろう。

当時僕は京都勤務で、他のメンバーは皆東京勤務。まだ土曜日が半日勤務(半ドン)だった時代で、東京組が5/23(土)に寝台特急さくらに乗り、深夜の京都から僕が合流するというプラン。25日のうちに新幹線で帰京することにしたので年休取得が1日ですんだ。

寝台特急さくらは定刻に博多に到着、ここで下車した我々一行はしばしの駅撮りの後、レンタカーで博多を後にし、まずは鹿児島本線の原田付近でブルトレや485系特急等を撮影した。

↓さくらから降りて手始めに博多駅で撮影

↓鹿児島本線を走る列車たち(いずれも原田付近にて)

続いて佐世保線に転戦し永尾-武雄の峠越え区間でも撮影。お召列車運転当日というのに随分間伸びした行動と思われるかもしれないが、当時はそんなものだった。何日も前からはもちろん当日も朝早くから撮影場所を確保して置き三脚をするなどということは発想すらなかった。

↓古くからの撮影ポイントにて(佐世保線武雄ー永尾にて)

↑ロケハンで見つけたポイント。外カーブという点が引っかかって、ここで三脚を据えることはなかった。(筑肥線駒鳴ー佐里にて)

途中で昼食をとりながら西へ進み有田を過ぎたあたりから今日の本命をどこで撮ろうかと真剣にロケハンを始めた。線路に沿って車を走らせるもここぞという場所を見つけられないまま伊万里を過ぎ、佐里の鉄橋もいまひとつで焦りを感じ始めた頃、ピンとくる場所を見つけた。それは肥前長野と大川野の間であった。ここを逃すと唐津の市街に入ってしまうと思い、そこで撮ることにした。

この場所にはそこそこの人が集まったとは思うが、激パということはなかった。まずお召予備機のDE10が単機で通り過ぎていった。それからしばらくして本日のメインイベントたるお召列車がやってきた。良好な光線状態のもと会心の一枚が撮れたという手応えがあった。

↓麦秋の中をお召列車がやってきた。稔った麦畑に雲一つない青い空という申し分のないシチュエーションに大満足。DE10の2エンド側が先頭というのも新鮮だった。

今日の宿は唐津市内。のんびりと後片付けをし、唐津に向かった。日の入りの遅い九州はまだまだ明るく、ホテルに向かいがてらダメ元で西唐津機関区に立ち寄ってみようということで意見が一致し、ハンドルを切った。(続く)