去る3月12日のダイヤ改正で、釧路運輸車両所のキハ40(釧路40)の定期運用が終了し、JR北海道における同車の活躍範囲はますます狭められる事となりました。

 

キハ40形100番台の2次量産車が投入された1979年以来、長年に渡ってJR北海道釧路支社(旧国鉄釧路鉄道管理局)管内で活躍してきたキハ40形が一気に電気式気動車H100形に置き換えられたというインパクトは大きく、40ロスにさいなまされている鉄道ファンの方も決して少なくはないハズです(私もそのウチの1人ですが…)。

 

もっとも、私は一般形気動車といえば『キハ22形』が最も好きな車両である事は今も変わらず、コレに敵う車両はないと思っています。実際、国鉄末期~JR初期の頃は22と40が組まれた列車に関しては前者を選んで乗っていました。40は特に峠道や低速域ではフワフワと揺れる乗り心地が酔いやすいという事もありましたが(あくまでも子供の頃の話)、22は旧型客車と同様の木の床(※特別保全工事車は内装リフレッシュでロンリウム張りに改装)、そして往年の国鉄型車両の特徴でもあった独特な『汽車の香り』(わかる人にはわかる)が漂う車内がノスタルジックな雰囲気を醸し出しており、ソレと較べると40は無機質なイメージが否めない、というのも事実でした。

(特別保全工事未施工車のキハ22 301。1992年3月撮影)

 

 

 

とはいえ、北海道からキハ22形や56系の古き良き時代の国鉄型車両が全滅して以降、キハ40系は『ザ・国鉄』の雰囲気を持った最後の車両という事もあり、21世紀、そして令和の今の世の中で国鉄時代から変わらない汽車旅を味わえるというのはある意味贅沢ともいえましたが、ここまでシブトく残ってきたヨンマルが一気に置き換えられてしまうというのは、流石に時代の流れという現実を突きつけられる思いで、やっぱり素直に寂しいと言わざるを得ません。

 

さて本題に入ります。

釧路40のうち、未更新車の700番台は昨年のダイヤ改正初期に活躍する姿が見られましたが、首都圏色の朱色5号(通称『タラコ』)に復刻塗装されて人気だった777も含めて早期に廃車、残りは機関他更新の1700番台のみとなっていました。

その1700番台車のうち、去就が注目されていた『北海道の恵みシリーズ』『道東 森の恵み』こと1779が、他の釧路車5両と共に24日に釧網本線~石北本線経由で旭川運転所へ転属のため回送されたそうで…(※あくまでもネット上での情報で、私は基本的に撮り鉄ではないため現地で確認したモノではない事をお断わりさせて頂きます)

同車は私が3月7日に新得→釧路の2427Dで乗車していますが、イベント的要素の強い車両のため改正後も釧路に残るのでは…と読んでいたのですが見事にハズレましたね…。釧網本線と花咲線で使用されているキハ54の代走や増結用として使われると思っていたので。

 

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ここからはその『道東 森の恵み』の思い出写真を紹介させて頂きます。

以下3枚は、2019年7月20日に釧網本線網走→緑(復路は知床斜里→網走)で運転された団臨『オホーツク花物語号』『流氷物語号』の夏季ヴァージョンとしてその可能性を探るべく、『MOTレール倶楽部』(3枚目写真に写っているのは同倶楽部所属のボランティア)が企画した団体臨時列車。昨年6月26日には一般向けの臨時列車として設定される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で運転が中止されてしまいました。私が『道東 森の恵み』に乗車したのはこの時が初めて。

 

 

 

コチラのブログでも少し触れましたが、2019年8月13日に新得→釧路で乗車した2427D。釧路駅2番線に到着した処です。実はこの時が森の恵み初乗車だと勘違いしていましたが、先述の『オホーツク花物語号』のほうが先でした。後部に連結の『タラコ』は1758。ちなみに、タラコのもう1両1749共々1979年製と経年が古いため、おそらく2両とも廃車になるのでは…と。

 

 

 

2020年10月31・11月1日には、特急おおぞら3号・8号にキハ261系5000番台『はまなす編成』が特別に充当された事と連動して、3号の接続列車である花咲線の普通5631D(折返し5632Dも)に森の恵みが特別に運用されました(その時のブログはコチラ.。写真は11月1日の根室発5632D)。コレとは別に、森の恵みは花咲線区間での一部定期列車での増結運用(※増結に伴う費用は根室市が負担)もありましたが、残念ながらその時に乗車した事はありません。

 

 

 

コチラの写真は実際には乗車していませんが、釧路駅4番線に到着する帯広からの2525D。

昨年4月3日に行われた釧路駅『周年記念イベント』(※リンクはその時のブログ)で同駅を訪問した際に撮影したモノです。2両目は未更新700番台の739。

 

 

 

さて…森の恵みといえば、『道北 流氷の恵み』こと1720と組んで、2021・2022年シーズン(道東を物語のメイン舞台にしたミステリーアドベンチャーゲーム『オホーツクに消ゆ』とのコラボ)の釧網本線の観光列車『流氷物語号』に充当されていた事がありました。本来の流氷物語号の車両であったキハ54 507・508のうち、水色ラッピングの508が踏切事故に遭ってしまった事による措置でしたが、転換クロスシートと窓ピッチが一致しない54より、眺望を気にしないBOX席でなおかつテーブル付の『北海道の恵みシリーズ』起用は、まさに観光列車に相応しかったといえるでしょう。以下2点の写真は2021年シーズンの時のモノ(最終日2月28日乗車時)。

 

 

 

コチラは2022年シーズンの『流氷物語号』。『オホーツクに消ゆ』のコラボは前年に引き続き実現しましたが、サボのデザインが変更されています(前年同様、ファミコン版のキャラデザインを手掛けた荒井清和氏の新規書き下ろし)。尚、編成順序は前年と逆になり、『道北 流氷の恵み』の海側BOX席が1号車指定席になった関係上(?)森の恵みは知床斜里側に変更されています。

(写真は1月29・2月5日撮影)

 

 

 

その『流氷物語号』の車両送り込みとして、定期普通列車の4726D~4729Dに連結して釧路から往復で回送する手法が採られました。ちなみに、2016年シーズンを最後に惜しくも廃止になってしまった『オホーツク流氷ノロッコ号』は、機関車の両数削減名目といわれていますが、釧路~網走の往復約340㎞を回送するという負担も大きかったという見方もあります。

写真は、今年2月5日に清里町駅にて撮影した網走→釧路の普通4729D。本来は先頭にキハ54が連結されて3連で運転されるのですが(キハ54の後部となる2両目も客扱いし、最後尾は締切)、車両不足の影響かキハ54は欠車、流氷物語3・4号の編成のままで2両とも釧路まで客扱いを実施していました(車両運用上の都合のため、釧路からの送り込み列車は3728D快速しれとこ摩周号に変更された関係上、2月4日~10日の流氷物語1・2号のみが旭川所属のキハ40一般車1両による運転に差し替えられている)

森の恵みが転属してしまったら来年以降、流氷物語号の編成はどうなってしまうんだろう…?できれば2021・22年シーズンと同様の車両での運転を望みたい処ですが…。

 

 

 

森の恵みの他の釧路→旭川転属車についても触れておきましょう。

24日に旭川へ回送された釧路40のうち、旧国鉄気動車一般色(ツートン)に復刻塗装された1759も転属の対象になったようで、遠軽方先頭だった森の恵みの次位に連結されていたとの事。残念ながら先にツートンに復刻塗装された1766は『タラコ』2両と同様、経年が古い(1979年製)ためかこのまま廃車になる公算が高いと思われ…。(※廃車になるかと思われた『タラコ』1749、1758、ツートン1766の3両とも5月17日に旭川へ転属回送されたとの事。5月19日追記)

この1759の写真は、昨年8月5日に釧路~根室の全線開通100周年を迎えた花咲線の普通5631D→5632Dに特別に運用された時のモノ。同車の塗色変更後に乗車するのはこの時が初めてでした(往路はキハ54の3629D快速ノサップを利用したため、帰路の5632Dのみで乗車)

 

 

 

コチラは、昨年11月24日に帯広駅で並んだ釧路40。1番線停車中の1759ツートンは帯広発釧路行2527D、2番線の1751は新得発帯広行2547D。芽室駅から乗車し12:17に到着後、12:24発車の2527Dに対面乗換で釧路まで乗車しました。尚、この時はJR釧路支社がHPに掲載していた『国鉄気動車一般色キハ40運用表』とは全く異なる運用で、停車していたツートンを見てラッキー!と心が躍りましたが、結果的にこの時が釧路車におけるツートンカラー最後の乗車となってしまいました…。もう1枚の写真は釧路駅到着後の撮影。

尚、1751も転属の対象となったようで、コチラは回送列車の釧路(旭川)方の編成端に連結(中間には17401775も連結)だったそうです。

 

 

 

1740の写真も載せておきましょう。

この時はあくまでも撮るだけで動いていたので実際には乗車していませんが、2016年11月20日に根室本線下金山駅に到着した東鹿越発2430D。本来は帯広発滝川行の列車でしたが、ご承知の通り同年8月に沿線を相次いで襲った台風災害の影響で、この時点では帯広→東鹿越は運休(実際の不通区間は芽室以西)、落合→東鹿越をバス代行とする形で運転されていました。車両も釧網~石北~函館線経由で滝川へ送り込まれ、釧路40の運用で運転が継続されていましたが、後に距離が近い旭川運転所の運用に変わっています。

残念な事に、被害が甚大でなおかつ利用客が極度に少ない東鹿越~上落合(信)の災害復旧は手付かずのまま、現在列車が走っている富良野~東鹿越も含めて廃線される事がほぼ決まり掛けており、キハ40が狩勝峠を越える事は二度とないでしょう…。ただ、先述の車両が旭川に転属されれば、滝川~東鹿越でそれらの活躍が見られる事になりそうです。

 

 

 

※尚、1775の画像素材は手持ちにはありませんでした。悪しからずご了承ください。

 

上記5両のうち、気になったのが『道東 森の恵み』1779の去就です。同車の最終全検は「27-3」、つまり平成27(2015)年3月と、既に7年経っているのですが、あくまでも車検切れまで使用するつもりなのか、はたまた再度全検を取って継続使用するのか…?改造費に約850万円が掛かってはいますが、約4年もの間イベント用や定期列車に使用され、充分元は取れたのかもしれませんが…。

旭川40の運用路線は根室本線の滝川~東鹿越、函館本線の滝川~旭川(※前者の送り込み運用兼)、そして石北本線と釧網本線の旭川~網走~緑(※ほとんど白滝~網走の運用がメイン)なので、道東方面といえば網走周辺しか該当せず、そしてラッピング装飾に十勝の小豆などの農産物が含まれているので走行路線とはそぐわない面もあるかと思いますが、旧国鉄気動車一般色の1759も含めてダイヤ改正前では活躍が見られなかった路線を走行する事となるため、そういった面で新鮮に映る事かと思います。

(※個人的に『道東 森の恵み』は5月14日~6月5日の土日に「三度目の正直」として運転予定の臨時急行『花たび そうや』の予備車も兼ねているのかと思われる…)

 

 

 

釧路車5両の転属回送と引き換えに、旭川車5両の廃車回送が逆のルートで行われているとの事で、旭川40の中で未更新700番台車の最後の生き残りでもあった721730733の3両全車が帰らざる旅に出たため、700番台車(※既に原形の予燃焼式エンジン車は消滅、オリジナルのエンジンは燃料噴射系を直噴式に改造済。両者のエンジン音は全く異なる)の消滅は確実なモノとなりました。つまり北海道のキハ40系から扇風機を備えた車両もなくなるという事になります(※あくまでも定期運用に入る車両としての話)。

(以下5枚は撮影年月日省略)

 

 

 

 

私にとって未更新700番台として最後の乗車となったのが、3月5日に石北本線上川→旭川の4534Dに充当された733でした。たまたまとはいえ、引退直前の時期に乗れて良かったと思っています。

 

 

 

 

上記3両の他に、旭川車では更新済車17091737も廃車回送されており、状態の悪い更新車も含めてキハ40の大量廃車が進む事になり、国鉄分割民営化から35年の節目の年である今年は、ますます道内ヨンマルにとって受難の年となりそうです。

1枚目写真左は帯広駅で『タラコ』こと1758とホームを挟んで並ぶ釧路所属時代の1709。2020年3月ダイヤ改正を機に古巣の旭川(当時の車番は未更新の709)に戻りましたが、それも束の間でありました…。

2枚目は旭川に戻ってからの1709で、撮影時は釧網本線の緑→網走の運用に入っていました(網走→釧路の4725D車内から撮影)。

(※1737の画像素材も手持ちにありませんでした。悪しからず。)

 

 

 

最後に、私から一つお詫びをしなければなりません。

実は…3月7日に釧路40とキハ283系おおぞら最後の旅と銘打ったブログをアップしたのですが、ダイヤ改正前日の11日に、同様のコースで再度乗ってしまいました。本来は7日の乗車で最後のつもりでいたのですが、10日になってキハ283系の定期運用ラストランとなる11日分のおおぞら12号の指定席特急券がえきねっとで偶然取れてしまい、急遽乗りに行ってきたのであります…。読者の皆様を騙すつもりでは更々なかったのですが、11日が正真正銘の釧路40とキハ283系おおぞら最後の乗車となりました。この事については深くお詫びするとともに、改めてラスト乗車となった当日の乗車記を後日(果たしていつになるか!?)ブログにアップさせて頂きます(その際3月7日の乗車記ブログも一部修正します)。どうかご了承くださいますようお願い申し上げます。