特急「やくも」50周年 | たっちゃんの鉄楽切り抜き帳

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 伯備線経由の陰陽連絡特急「やくも」が運転を開始したのは、1972年だったから今年で50周年になる。「ひかりは西へ」のコピーが記憶に残る山陽新幹線の岡山開業で、関西圏から山陰への最速アクセスルートとして、新幹線に接続して走る特急として誕生したのだった。
 運転開始時は食堂車も連結されたキハ181系だったが、1982年の伯備線電化により振子特急381系に置き換えられている。以来、40年にわたって運用されてきた381系だが、遂に新型車両への置き換えが発表された。
 50周年を記念して、381系登場時の国鉄特急色に塗り替えられた編成が走り始めたが、本日の画像は1990年頃のオリジナル塗装車だ。
 残念ながら気動車特急時代には乗るチャンスがなく、初乗りは電車化されてからだったが、この時は全く楽しくなく、むしろただただ苦痛だった記憶がある。指定席がとれず自由席に並んだのだが、満席でようやく座れたのが通路側の席。周囲のすべての窓にブラインドが下ろされていたので車窓は全く見えず、暴れ馬走りとして有名な381系の揺れに耐えるだけの二時間だった。当ブログで何度か書いているが、381系電車は換気システムが良くないようで、車内の空気がよどんだ感じなのも苦痛の一因だった。
 その後、しばらく乗車の機会がなかったのだが、2000年代に入ると山陰地方へ出張することが多くなった。どうしても時間がない時は空路だが、通常はさまざまなルートで往復の「乗り鉄」を楽しんだ。
 そのなかで一番多かったのが伯備線経由。東京駅を朝6時に出る500系「のぞみ」に乗ると、岡山駅を9時半に出る「やくも」に接続して米子駅に11時半に到着、昼食を済ませて午後から取引先へと向かった。午前中から打ち合わせがある時は前日入りで、岡山駅を21時半に出る最終の「やくも」を利用した。
 ちょうど381系の更新が頻繁に行われていた頃で、外部塗装も車内もよく変わった。グリーン車の3列シート化はサロのみ実施され、クロ(パノラマタイプ)は4列のままだったし、普通車の381系独特のシートは表面だけ改装されたが基本(骨組み)はそのままだった。当然ながら更新されても換気の悪さは変わっていない。
 更新入場中は車両数が不足するのか、3両という短編成での運転もあってビックリしたものだ。

 新型「やくも」のイラストが公開されているが、近年のJR西日本の特急車両と似たイメージだ。パノラマ型グリーン車(画像は現行車)の設定がなさそうなのが残念。伯備線の車窓は楽しいので、是非とも継続してほしいのだが。
 これも何度も書いているが、特急「やくも」は単線、曲線、勾配という三つの悪条件が揃っている伯備線で表定速度80キロという、振子特急ならではの高速運転を行っている。後継車も振子車両となるのだろうが、乗り心地がどのくらい改善されるか楽しみだ。